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2022.09.11
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カテゴリ:物語
11
 あの丸いものが国家で、人があの中に住んでいるというのは本当か。そんなことを考えていると眠くなってきた。眠気を憶えるなんていつ以来だろう。わたしはそのまま眠ってしまっていた。
「さあ目的地に着きましたよ、ここが天獄の館」
 わたしはねむい目を開いた。目の前に中世風の建物があった。
「みなさん足もとに気をつけて、降りてください」
 みなさんだって、わたし一人ではないか、それに足もとといってもここでは足がないと、思って足もとを見ると足がある。メガネの足もとを見ると足がない。これはどういうことかメガネに聞きたかったが、メガネはそっぽを向いていた。わたしは黙ってバスを降りた。
 わたしは二本の足で大地に立っている。あの世からこの世に戻ったのではないか。いや油断はできない、ここはあの世なのだ。
 後ろを振り返るとバスはもうそこにはいなかった。わたしは地面を蹴ってみた。そこに当たる手ごたえがあった。目の前の天獄の館という建物を眺めた。なかなか重厚なおもむきのあるなりをしていた。上を見ると空があった。そこにはさっきメガネが言った国家というものが浮かんでいた。背景の色がすこし暗くなっているような気がした。
 天獄の館のまわりはまったくひとの気配がなかった。わたしはその入り口に向かって、登壇するときのようにゆっくり歩みをすすめた。わたしはその時顔に触れるもんを感じた。風だ、心の中で叫んだ。今まで感じるものではなかった。それに勇気づけられるように館の玄関の前に立った。
 人を威圧するような扉、中世の貴族の屋敷にはこのような扉があったのだろう。その中央には呼び鈴のための釣り鐘がぶら下がっていた。そのひもを引いた。キンカーンと音をたてた。さっきまで声以外音というものを聞いたことがなかったことに気がついた。何度か鳴らしてみたが、誰も出てくる様子はなかった。しばらく立っていた。辛抱強く待った。少し寒さを感じた。空を見上げた。あいかわらず丸い玉は浮かんでいたが、それを浮き立たたせているキャンパスは灰色に変わっていた。ここには時間があるのだ。わたしは小躍りしたくなるほど嬉しくなった。あの扉の向こうにあの世、もとの世界があるのではないか。そうだとすると元の世界に戻れる。戻ったら誰も知らないここのことを書いて金儲けができる。わたしは嬉しさのあまり下品なことが頭に浮かんだ。カール・マルクスがそんなことを考えてはいけないじゃないか、わたしはわたしを叱って苦笑いした。
 思い切って扉に手を掛けた。体ごと押さないと扉は動かなかった。ギーっという鈍い音を立てて扉は開いた。わたしはすばやく体を中に入れた。扉はまた同じ音を立てて閉まった。
 わたしはふと、もう二度とここから出られないと思った。ここに閉じ込められてしまう。その恐怖心を、いやこの館はあの世、もとの世界に戻れる入り口があるのではないかと思うことで振り払った。
 廊下を少し歩くとすぐに階段になっていた。階段の両サイドには薄暗い光があったが、上の方は見えない。階上には赤鬼がいて私をつかまえて血の池地獄にでも落とすのではないかという妄想にかられた。
「上にだれかいますか」
 声が上ずっている。のどがカラカラだ。これもさっきまでなかったことだ。それだけあの世、もとの世界に近づいているということだ。
 もう二、三度声を大きくして呼んでみた。わたしの言葉が響いて返ってくるだけで、あとは静まり返ったままである。
 わたしは階段に足をかけ一段二段と上っていった。靴の音と階段のきしむ音が混ざり合って、一つの音になって私を包んだ。わたしはそれによって確かな存在としての自分を感じた。
(つづく)





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最終更新日  2022.09.11 00:08:43
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