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カテゴリ:物語
12
わたしがものに囲まれて確かな存在だったのもそこまでだった。踊り場で方向を変えたら何もなかった。何も見えない。目を凝らしたが何も見えてこない。後ろを振り返ったがそこにも何もなかった。深い霧の中にいるようで、わたしはそこに立ち止まった。 わたしは長髪の言葉を思い出した。「天国には時間というものがない。天獄には空間というものがない。ただそれだけの違いですよ」それはどういうことになるのかと聞いたとき、やつは薄ら笑いを浮かべて消えた。 わたしは足を動かしてみた。体が前へ進むという感覚がないのに、息づかいだけが激しくなった。 わたしは空間のない場所にずっといることになったのである。 しかし、何にもないところに、あの玉だけが浮かんでいた。国家といういろんな色をした玉、わたしはそれを見ているしかなかった。 わたしは毎日、毎日、それを見ていた。あのバスの中ではきれいと思った玉も、今では憎々しく思えてくる。わたしになにか訴えてくるようである。しかし今のわたしには何もできない。 何もできない、することがないというのは苦痛であった。血の池や、針の山がなかってもここは地獄なのだ。 わたしは動くものに飢えていた。懐中時計をじっと見ているのがわたしの唯一の楽しみになった。針が動いて一周するのを飽きもせず眺めていた。いやいや飽きるなんて贅沢はできない。それにそれを耳に当てて音を聞くのが慰めであった。音のない世界はもっと怖かった。わたしはときどき大声で叫んだりした。声はこだまするでもなくすぐに消えた。 そんなある日わたしは違った音を聞いた。はじめは空耳かと思った。以前から空耳や空匂い現象が起こっていたので、今回もそうかと思いながらも聞き耳をたてた。それはたしかに外から耳に入ってくる音であった。わたしは一粒の音もこぼすまいと、それに向けて耳を集中させた。しかし音は気まぐれであった。いつも音があるわけではなかった。わたしはその音がなんであるか知りたかった。わたしを怖がらせる音ではないのは間違いないのである。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.21 23:13:45
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