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カテゴリ:物語
13 それから、わたしは時計を見ながら音が来る時間の規則性を見つけようとした。ばらつきがあったがだいたい短針が10を指す頃が一番多かった。ここではそれが10時を意味するのかどうか分からない。来る日も来る日もその小さな音に耳を傾けた。とぎれとぎれの音であるが、その音は旋律を持っていた。わたしは頭の中に残ったその旋律を心の中で再現させて口に乗せてみた。わたしの口から出る旋律を耳から入れてかみ砕くようにして頭の中にしみこませた。わたしはその音がしないときも、それを口ずさむことができるようになった。そしてわたしは気づいた、これはモーツアルトだ。モーツアルトの曲なんだ。遠い日に聴いた思い出がよみがえってきた。涙がわたしの鼻をつんと鳴らした。しかし思い出に浸っている場合ではない。この音がどこから来るのか考えなくてはならない。 ここにひとというものがいるのか、あの世から来た人間が、わたしは腕組みをして考えた。天国へ行く人たちがあんなにいたのだから、この天獄にもわたし以外のだれかがいても不思議ではない。そいつが悪党だとしても……わたしはかまわない、ひとりでいるよりはましだ。 ここには空間がない。だからわたしは動けない。音は空気の振動によって伝わる。科学に疎いわたしでもそれくらいは知っている。空間のないところに空気はあるのか、いやそんなことを考えたら、いまここにいるわたしはありえない。あっちの世界の常識を基準としてここの世界を考えても仕方ないことである。わたしと同じようにここに送られたひとがいて、そいつが音を出している。それだけが問題なのである。 わたしはそれからモーツアルトの音をつかまえることに精力を注いだ。つかんだ音を相手に送り返して、わたしがここにいることを知らしめる。その作業に没頭した。目の前にはあいかわらず国家という玉が浮かんでいたが、わたしの目にいは入ってこなくなっていた。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.24 10:34:26
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