助詞「は」と「が」の使い分け
日本語では話に初めて出てきたこと(新情報)には「が」を使い、
話にすでに出たこと(旧情報)には「は」を使います。
日本で有名な童話の中に「桃太郎」という童話があります。
むかしむかし あるところに おじいさんと おばあさんが 住んでいました。
おじいさんは 山へ芝刈りに、 おばあさんは 川へ洗濯に行きました。
ここで 「おじいさんとおばあさんが」が(新情報)
「おじいさんは」「おばあさんは」は 旧情報です。
または 「おじいさんは~、おばあさんは~」という対比の意味からも「は」が使われていると思います。
お住まいが どこですか。 ×
お住まいは どこですか。 〇
初めて出てきたものへは「が」、すでに出たものに対しては「は」を使いますが
「お住まい」という言葉は聞き手が分かるものなので、こうしたものに対しては日本語では聞き手の意識に上がっているものとして「は」を使います。
一方韓国語では「は」に対応する「은,는」を文中ですでに使われたものに対してだけ使い、述語が疑問語の質問文の主語には「が」に対応する「이,가」をよく使います。
トイレが どこですか。 ×
トイレは どこですか。 〇
そこが トイレです。(新情報)
トイレは そこです。(旧情報)
「は」の基本的性質
1,主題を表す
私は若く見えるとよく言われる。
訪問販売の人:おうちの人はいますか?
私:いいえ、お母さんは今いません。
と言って学生のふりをして逃れたことがあった。
私はサービスセンターに電話をかけるとき
私:私は外国人なんですが、・・・・
と言って話し始めることにしている。相手が「ん?なんかこの人韓国語が変、外国人かな、単なる方言かな、いきなり聞くわけにはいかないしな」なんてそう思っているだろうなと、こちらも相手のもやもやを想像しながら話を進めるのが嫌で。先に外国人だと宣言してお互いのもやもやをすっきりさせてしまうのだ。
2,対比を表す
一人でいるときは「お嬢さん」(アガシ)と呼ばれたこともあるが、子どもと一緒にいるときはさすがに「おばさん」(アジュンマ)と呼ばれる。
もう若くはないんだと思わされる。
3、名詞文、な形容詞の否定文
私は学生ではありません。
私はキュートではありません。
4、述語が疑問語の質問文の主語
最近はカーナビがあってこんなことはなくなったのがが、以前は信号待ちで車を停めると、隣の車線に同じく信号待ちで止まった車がウインドウを開けて
「すみません~、〇〇はどこですか。」
と尋ねてきたものだった。
「私運転席」「助手席」「隣の車の運転席」と横並びで相手は遠いし、信号待ちという限られた時間しかないのに道を聞いてくるのだ。
あるときは
「すみません~、〇〇はどこですか、お嬢さん(アガシ)」と聞かれて、気をよくして戸惑いながらも大きな声で道案内。
行き先を道路地図で事前に調べるとか、警察で聞くとか、そんなことはしないらしい人が多かったのだ。
「が」の基本的性質
1,中立叙述を表す
何かを発見した場合
わかっていることがない疑問文に対する答え
原則として話はじめの文で使われる
昔流れていたCFにこんなのがあった。
若くてきれいなワンピースを着た女性が座っている。
そこに飛んでくるボール。
男の子がその女性に向かって
「ボールを取って下さい、 おばさん(アジュンマ) 」
2,総記を表す
疑問語疑問文に対する答えとして使われ、「ほかでもない〇〇が・・・」と言う意味を表す。
その女性はボールを拾い上げるものの
「え?誰がおばさん?」
って感じで周りをキョロキョロ見るが、
自分の他には誰もいない。
その女性、おばさんと言われてしまった事に
納得がいかず、首と肩を軽く回したりしながら
「まぁ、生きてると色んなことが・・・」
みたいにブツブツと呟く。
それでもショックのせいか
男の子にボールを返してあげないものだから、
父親らしき人物が男の子のそばに来て
「どうなさったんですか、おばさん(アジュンマ)?」
と語りかけたもんだから、その女性の怒りが爆発!
「誰がおばさんですって?!キンキン!!」
と怒るのだ。
どうしてお父さんたちは子どもの運動会で転ぶのか。
ある運動会で、転ぶお父さん方続出。
でも全てのお父さんが転ぶと言うわけではなく、
転ばないお父さんはマイペースで無理なく走っている。
一方転ぶお父さんというのは、脚が早く
やる気満々のタイプで、若いとき
運動をやっていた人がほとんどだったそうだ。
そこで大学教授の解説、
「精神と肉体が一致していないから」
だと。
かつて運動をしていた人は自分の足に
自信があるものだがら、ついがんばってしまうものの、
実は肉体は衰えていて、体がそれについていかず
転倒するのだと言う。