カテゴリ:生き物全般
31日土曜日のカフェサイクリングでは姉ヶ崎近郊の程よく残された自然や田園風景に感心したものですが、日曜日のクールダウンポタ(天候はちっともクールじゃなかったけど)では、自宅周辺の里山の良さを改めて実感することになりました。
自然池や調整池、河川・湖沼など豊富な水辺、手入れされた里山の森、豊かな動植物。 幼い頃の記憶との違いを強いてあげるとすれば、子供たちの姿が少ないこと。 少子化の影響ばかりじゃなく、野山で遊ぶ子供たちが居なくなったのは子供たちの遊びの形が時代と共に移り変わったからでしょう。 暑い戸外で熱中症の危険を冒してまで遊ぶより、涼しい安全な室内で静かにゲームに興じるほうが親も安心なのでしょうか。 ふと足元を見ればカブトムシ(メス)がのそのそと歩いていました。 もっと居ないかとツマと二人、森に分け入ってみましたが、残念ながら見つからず。この暑さですから地中に潜っているのかもしれません。 思えば子供の頃、誰も知らない穴場的なクヌギの木を密かにマークしていたものです。夏休みともなれば早朝、深夜と欠かさず訪れ、その収穫に心躍らせたものでした。 今の子供たちに、そういうワクワクしながら森に分け入るような事はあるのでしょうか。 蚊に刺されながら、蜂にびくつきながら、来ていてくれよと念じながら覗き込む樹の裏側・・・ 夕べのスイカを、少し赤いところを残して食べて、夜にこっそり森の中に置いて来たり・・・ この自然を子供たちに残したいと思う我々の気持ちは、今の子供たちにはどのように伝わっているのだろう。 水の循環だとか、CO2問題だとか、食物連鎖だとか、そういった教科書的な自然保護の立場じゃなくて、里山の自然が人の心に直接的に働きかけてくる安らいだ感覚を、森の中で躍動する小動物の鼓動を、川面に跳ねる魚の美しさを、今の子供たちにも味わってもらいたい。 そういう中から自然の大切さとか、自然を残したいという心をもっともっと人間の深いところに刻んで欲しい。 そんな事を考えたOyajiでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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