カテゴリ:徒然
雨の土曜日ぐらいはゆっくり寝ていたいものだけど、早朝の地震で目が覚める。
と言っても、いつも起きる時間と差がない。 日の出前に加えて雨ともなれば外はまだ真っ暗。仕方ないか・・・・と床から出るも、さしてやる事も無し。 もう一度寝るも良し、朝食にするも良し、朝からテレビを見るも良し、何にもしないでダラダラするも良し。と、何と平和な土曜日だろうか。 仕事は問題山積で、休日出勤でもすれば頭の中にモヤモヤしている気がかりな事も少しは紛れるやも知れないけど、そんなの気休めに過ぎないことも判っているから行かない。ましてやこの雨と寒さは、外に出る気を失せさせるには十分すぎる。 やるべきこと、なすべきことは有り過ぎるほど有るわけだけど、起きぬけの瞬間に聞く雨音と肌が感じる外気温の低さでそれら全てのプライオリティが究極まで下がる。その状態を維持したまま大切な週末の2日間を過ごすことは健全な精神状態を保つ上で極めて重要なことだと信じているし、「雨が降ってる」なんて理由で「考えたくないこと」を「考える必要の無いこと」に出来てしまう都合の良い(怠けた)精神構造に感謝。 相対的に優先順位が上がるものもあって然るべきだがそれも考えない。完璧に存在否定。そもそも絶対値としては低かった優先度のはず、やらなかったとしても大勢に影響は無いだろうと高をくくって考えない事にする。 残ったものは無い事を確認する・・・・・と、起きてからここまでで数十秒ってとこ。 こうやって一切の精神的拘束からあっさりと自分を解き放てば、後はバラ色の週末。どのみち日曜の夕方には子供の頃から慣れ親しんだ憂鬱感に包まれるわけだし、月曜からはまた破壊的な毎日が待っていて逃げられないわけだし、そう思えばこそ刹那的に週末を過ごすことに何ら後ろめたさも感じないで済む。 雨や雪や寒さが心の救いになることもあるのだな・・・・いや、違うか。 人によって諸事に対する想いは様々だし、物事の価値観は大いに異なる。同じ事に対して「雨が降ろうが槍が降ろうが」と思う人もいれば「寒いからやめとこ」と思う人もいる。全ては当事者の想いで価値は変わる。本質的な部分で絶対的な「重要性」とか「価値」なんて無いんだな。 とある偉い坊さんは「一切は空」と言っているし。 そう考えると、他人に同意を求めたり、心の悩みを打ち明けて道を問うたりする事も、或いはその回答を聴く事すら無為に思えてしまうな。 その過程で多くの相対評価の中にプロットされてはその相対評価の付加情報付きで剥がされ、次の評価軸の中で相対評価され・・・・・結局どんどん本質から遠く離れていくし、そもそも絶対評価が存在しない中でグルグルと無責任に掻き混ぜられているだけなのだな・・・いや、元から本質など無かったはずだし・・・ とまあ、他人とコミュニケーションを取る上での障害になりそうだから考えるのやめとこ(笑) 玄関先のキダチアロエの花が随分大きくなってきた。今年は例年より数が多い。 雨に濡れて可哀想だ、と思うのも自分の・・・・ だからやめろっちゅーに! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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