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テーマ:懐かしの昭和歌謡(765)
カテゴリ:懐かしの昭和歌謡
今日ラジオを聴いていると、場所は忘れたのですが初雪を観測したと言っておりました。11月も半ばを過ぎ本格的に冬になってきましたね。今日は北原ミレイさんの『石狩挽歌』を取り上げたいと思います。
注)今日の画像は写真素材[フォトライブラリー]様からお借りしたもので、著作権等は撮影された方にあります。無題転載などは固くお断り致します。 『海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると♪』 この歌は1975(昭和50)年6月に発売されたシングルでB面が『別れのビギン』と言う歌で両面とも作詞がなかにし 礼さん、作曲が浜 圭介さんによる作品です。この歌はこの年の東京音楽祭で作詞賞・編曲賞を受賞され、その後、同音楽祭に4年連続の出場を果たされています。 この歌の歌詞に出て来る『赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ』の筒袖(つっぽ)とは仕事着用着物の袖の形を指しこんなものだそうです。綿入れ半天のようなものだったのでしょうね。その後の『やん衆』とは漢字で書くと『網衆』と書き石狩浜のニシン漁に携わる漁師のことを指しているようです。(青森、秋田、山形方面からの出稼ぎ漁師のこと指すと言う説もあるようです) 『あれからニシンは どこへ行ったやら♪』 この歌は作詞をされたなかにし 礼さんの実体験を元に作られた歌のようです。なかにし 礼さんのお兄さんは終戦後、小樽に引き揚げ、母の実家を担保にした借金で増毛のニシン網を1ヵ統手に入れ、群来に当たり大金を手にしたそうです。 ここで止めておけば良かったのでしょうが、山師のお兄さんはさらに大儲けをしようと船5隻をチャーターして内地にニシンを運ぼうとしますが、時化に遭ってすべてを失い、借金だけが残り一家は離散し、各地を転々とする事態となったそうです。 『今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロロー♪』 江戸時代に始った日本のニシン漁は、明治、大正、昭和と漁獲方法などの発達で次第に漁獲量を増やして行ったようですが、1957(昭和32)年には殆どとれなくなって幕を降ろしたそうです。栄枯必衰の理と言えば良いのでしょうか・・ 最近流行の勝ち組・負け組みなんて言う言葉を聞くたびに虚しさをおぼえます。実力主義を唱えたところで、実際はそうなっていない事の方が多いように思われます。人生の勝ち負けって一体なんなのでしょうね? 最近起きる変な事件の多くもこの辺りの事が原因になっているとしか思えなくなりました。北原ミレイさんの『石狩挽歌』はこちらから少しだけ試聴が出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月16日 20時04分25秒
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