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テーマ:ドライブ・小旅行(1741)
カテゴリ:レトロな街並み風景
上の写真は先日立ち寄った、徳島県三好市の大歩危峡の写真です。大歩危峡のあるこの場所の祖谷剣山地域は、日本三大秘境のひとつで、日本三大奇橋のひとつかずら橋がある所で有名なだけでなく、平家落人伝説の残る地域のひとつでもあります。 上の画像は祖谷剣山地域にある、ホテルかずら橋さんのボンネット・バスです。駐車場に停めていたのを無断で撮影して来ました。かずら橋の画像もあれば良かったのですが、この日は立ち寄らなかった為ありません。この場所から徳島市よりの方に戻り大歩危峡まんなかさんの裏を通り暫く走るとそこには児啼爺の石像があります。 上の画像がその石像で、2001(平成13)年に建立されたもので、児啼爺はこの地方出身の妖怪である事を後世に残すために建立されたようです。この石像の横には京極夏彦さんが原文を書かれたと思われる『児啼爺の碑』も設置されています。 上の画像がその『児啼爺の碑』で、下のように書かれていました。(一部、変換出来ない文字は変えてあります) 児啼爺の碑 京極夏彦書 日本民族学の父 柳田國男(明治八年~昭和三十七年)が昭和十三年に「妖怪名彙」で紹介した「コナキヂヂ(児啼爺)」は徳島県山間部に伝わる妖怪である。 昭和四十一年以降、漫画家水木しげるが柳田の記載に姿形を与え、テレビアニメーション等の「ゲゲゲの鬼太郎」に登場させたことで広く全国に知られた。 「コナキヂヂ 阿波の山分の村々で山奥に居るといふ怪 形は爺だといふが赤児の啼聲をする。或いは赤児の形に化けて山中で啼いているともいふのはこしらへ話らしい。人が哀れ思って抱上げると俄かに重く放さうとしてもしがみ付いて離れず、しまひにはその人の命を取る(中略)。木屋平の村でゴギャ啼キが来るといつて子供を嚇すのも、この児啼爺のことをいふらしい。ゴギャゴギャと啼いて山中をうろつく(後略)」(柳田國男「妖怪名彙」、民族学誌「民間伝承」昭和十三年六月号初出) 柳田門下生で慶応義塾学生であった香川県の武田明(大正二年~平成四年)は、昭和十三年十一月の民間伝承」誌の「山村語彙」に「阿波三好郡三名村字平での聴書「コナキジジ 子供の泣聲を真似る怪」と記述している。 三名村字平(現・山城町上名平=かんみょう・たいら)では「コナキジジィが「泣く子を欲しい」と連れにくる」 「山に居った!」などの叱り文句に使われ、アザミ峠に至る山に居る老人姿の妖怪とされたと、幼少時に叱られた人々の記憶にかろうじて残るのみである。(松本実=大正四年生まれ、上名津屋。平田五郎=昭和四年生まれ、上名平。平田辰一=昭和八年生まれ、上名柿野尾。平成十一年~十二年談) なお、泣き声、赤子姿や重くなるという妖怪は現在では「オギャナキ」などの名で木沢村岩倉や祖谷などの剣山周辺の多くの町村に伝わる。 かくして、児啼爺は山城町上名平などで語られていた徳島県山間部の妖怪であることを、さらに後世に伝え残すために像を建立し、ここに記す。 2001年十一月吉日 藤川谷の会 この横には湧き水?が出ていて石像を撮影している間にも何人かの方が来られて容器持参で水を容器に詰めて居られました。 この先の川側をみるとそこにはなんと鬼太郎ハウスがありました!!中に誰かいるようです。誰なのでしょうか? 女性らしき姿が見えます。杯で何かを飲まれているようなのですが、何方なのでしょうかね。 この先の藤の里公園と名付けられた小さな休憩場には地元の小学生が作られたと思われる妖怪が並んでいます。 何故か藤娘までいます。この藤娘見た記憶があるのですが、何かでここに昔立ち寄った事があるのか、別の場所なのかはっきりしません。最近、何故かこの風景以前にも見た記憶があると言うこと多くなったような気がするのですが、何処かおかしくなってしまったのでしょうかね。日記を書き終えてもこの感覚があるのです。 上の写真がラピス大歩危さんと言うところで買った『妖怪コーヒー』です。ここには他の妖怪グッズも販売されておりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月02日 01時36分02秒
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