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テーマ:奈良(616)
カテゴリ:開運・浄化・スピリチュアル
最近、よく水越峠を抜けて、奈良県御所市から葛城の山々の裾野を走ることが多いのですが、
このあたり、大阪側から見る雰囲気と、奈良側から見る雰囲気では全然違うことは 以前にも書いたのですが・・・ 信仰の共和国・金沢生と死の結界・大和 先日、Dさんよりの本をお借りして読んで、納得しました。 五木寛之氏の小説「風の王国」は、山の漂流民「サンカ」と呼ばれる人たちのことを織り交ぜて書かれた、大変興味深い本で、その舞台がこの二上山周辺の葛城地方だったので、氏は丹念にこの地方を踏破し、この本を書かれていた。 大阪から見るこの山々は、「東」で日のいずる方角。 一方、奈良からは「西」で日の沈む、西方浄土の方角。 二上山に沈む夕日を見て、その向こうは「死者の国」と捉えており、 二上山の横には、日本最初に国道とも言われる「竹内街道」が通っており 大和政権の重鎮が亡くなると、この峠を越えて、死者の国の西方に行き、 大阪側の今は太子町、地つ飛鳥と呼ばれる土地に墳墓が設けられた。 太子町周辺には、聖徳太子、推古天皇、小野妹子などなど 数々の墳墓があります。 近つ飛鳥博物館 太子町観光ページをみると、名だたる歴史上の人物の墳墓があるのがわかります。 それに真っ向に背を向けて、悲劇の大津皇子のお墓が二上山の山頂にあるのもうなづける。 つまり、奈良側から見る二上山周辺の山々は、この世とあの世の結界だったのです。 でも、それはおどろおどろしいものではなく 私にとっては、どこか人の手の及ばない神々しい「気」が満ちている感じがして サワヤカな気分になるのです。 ここに残る地名も、郷愁とどこか怪しげな地名が多く 「風の森峠」「どんづるぼう」「穴虫」「暗峠」などなど・・・ 民俗学の血が騒ぎそうなものが多い。 修験道の開祖、役行者の本拠地でもあるし、 源義経が、静御前と雪の吉野で泣く泣く別れを告げ 修験道の山伏たちに道案内され、この山々の山伏道の道なき道を 逃避行した舞台でもあるのである そう思うと、またまたこの地の奥深い魅力が!! 二上山 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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