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テーマ:本のある暮らし(3310)
カテゴリ:硬派
また、嘘じゃないかなって思う。
押しているはんこだって、嘘っぱちにシャチハタの印鑑を、 事務員が押したんじゃないかって、疑う。 でも、きっと、本当なのだろう。 本当に読んでくれて、僕のつたない文章に 評価をしてくれたのだろう。 *** 僕はパートタイムの学生である。 なぜなら、放送大学に所属しているからだ。 気が向いたら、授業を聞いている。 といっても、全科目を履修し、大学卒業の資格を取る訳ではない。 科目を選んで履修する科目履修生として、二つほど、 授業を取っているだけである。 そのうちの一つは、「文学の愉しみ」である。 世界文学を教えてくれるということで、趣味として受講している。 それに、講師陣が魅力的だった。 学生時代に海外の小説を僕は読んでいた。 日本語に翻訳された形で。 そして、講師陣はその小説の翻訳者ばかりだったのだ。 特に、柴田元幸さん。 僕は彼の翻訳を通じて、ポール・オースターを知り、チャールズ・ブコウスキーを知った。 今でも、英語を原著で読めない僕にとって、「読むより翻訳が早い」と 自身でも語っていて、東京大学の教授だった彼は遠い存在だった。 それこそ、本の向こうの人だった。 そんな人の講義が、インターネットからでも聞ける「文学の愉しみ」という 授業は、すごく楽しみであった。 だから、受講した。 じゃあ、真面目に受講しているのかというと、そうではない。 何しろ、開講から3ヶ月たったのに、全15回の講義の、半分も聞けていない。 でも、モノゴトには〆切がある。 レポートなんかはそうだ。 このレポートは受講から、試験までの間に一回、放送大学に提出しなければ いけない課題である。 中間試験のようなものだと思ってもらえればよい。 多くはマークシート方式である。 少し勉強し、教科書を読めば、答えられる。 「文学の愉しみ」のレポートもマークシートだろうと、 たかをくくっていた。 だから、提出期限の10日前くらいまで、課題を封書から 開けもなかった。 封書を開けてみて、びっくり。 なんと、講義で取り上げた文学について、1000文字以内で論じろという 課題であった。 丁寧に原稿用紙までついていた。 そして、課題と原稿用紙の後ろには添削欄と書かれた枠があった。 何に使われるのかなって、思うどころじゃない。 課題を仕上げないといけない。 僕は急いで、教科書を開き、そして、興味があり、時間が間に合う課題を 考えた。 できれば、以前に読了した小説がよい。 そして、できることなら、僕でも原文を読んでも時間が 間に合う短い作品がよい。 カズオ・イシグロさんの作品とかでは、原文をなぞるのも 長くて不可能だ。 そこで、僕はレイモンド・カーヴァーの作品である「大聖堂」を課題に 選んだ。 (「Carver's Dozen」 中公文庫収録 村上春樹翻訳) *** なんとか、レポートを書いた。 内容はカーヴァーの作品が持つ日常の空虚さが「大聖堂」という 作品では救いのキッカケに変化しているとか、そんなことだった。 ちょっと、こじつけかなとか、思いながら提出した。 時間がなかったのだ。 それから、すこし後悔した。 あらずじを書くのなら、もっと、老人と主人公の違いと、最後の精神的な 交差を詳しく書くべきだったのでは、とか、字を丁寧にすればよかったとか。 でも、出してしまったのは仕方がない。 そして、僕の日常はそれだけに関わっているだけでは、成り立たないのだ。 朝起きて、電車にのり、仕事に行き、電車にのり、家に帰る。 空虚とまでいうつもりはないが、繰り返しの中で、僕は生きる技術を持ち、 向上させたつもりで、日々を過ごしている。 それが、僕の人生の時間の大半だ。 *** 金曜日だっただろうか。 僕が提出したレポートが大学から返却されていた。 僕の解答の横に、○とか、◎が赤いボールペンで記載されている。 そして、気にもかけていなかった講師添削欄、正確には「解答に対する 総合的な指導・助言」も同じ赤いボールペンで字があった。 ちょっと、丸字だけども、とても読みやすい。 最後に「主任講師(添削責任者)」にはんこがあった。 「柴田」 それだけ。 でも、多分、いや、きっと、間違いがなく、それは講師である 柴田元幸さんのものなのだろう。 しかも、褒めてもらっている内容だった。 指導・助言欄の下にABCで評価が三項目あるが、 全部Aだったんだ。 学生へのサービスかもしれないなって、30歳を超えてしまった 僕は疑っている。 ただね。 それを差し引いても、とっても嬉しかった。 大学の時、僕はなぜか本ばかりを読んでいた。 高校まではちっとも読まなかったのに。 社会人になり、生身の人間のことを経験としてわかってないなと 感じた僕は本を読んでいた日々を無駄だなって振り返ったりした。 それでも、僕は社会人になっても時々本を読み、小説を書いたりしてきた。 小説は芽さえ出ていないけど。 だからね。 そんな、僕に小説について、案内してくれた翻訳者の人が僕の文章を ちゃんと読んでくれてるっていうのが、たまらなかった。 思いがけなかったから、涙なんて出なかった。 無駄じゃなかったんだな。 僕の時間はね。 やっぱりね、学ぶことは続けないといけないんだ。 一度、どこかで決めたなら。 ※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月06日 22時57分49秒
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