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カテゴリ:硬派
当日券が取れた。
運が良かった。 29列目だった。 まあ、当日券だから後ろでもしかたないか。 そう思っていた。 でも、その会場は一番後ろが1列目だった。 前に近づくほど、列の数も増えていっていた。 僕は前から5列目の席だった。 そりゃ、端っこではあったけど、ラッキーだった。 彼らのデビュー曲である「SAKURA」で 始まった。 いきものがかかりのライブにだった。 ボーカルの吉岡さんはやっぱり、ライブで聴くだけの 価値がある声だった。 前の列だから、スピーカーが近かった。 ドラムとベース音が巨大だった。 そんな中でも、声量があるから高いキーであっても 迫力がある、吉岡さんの声を、僕は耳をすまして聞いていた。 会場はのお客は、かなり、個性的だった。 が関西人丸出しだった。 普通ステージへの、呼びかけは「かわいい」とか 「頑張って」くらいだろう。 違っていた。 「どこ泊まってるの??」 「ゲゲゲの歌ってよ」 「出身の小学校どこ~」 「体重、なんで増えてるの~」 お客さんとの会話のやりとりも面白いライブだった。 そんな面白い客が多かったのだが、僕は 女性の二人組が気になった。 10代の娘さんと、そのお母さんだろう。 確か、お二人ともめがねをかけていて、 とっても似ていた。 まず、親子で間違いないだろう。 もし、赤の他人であそこまで、そっくり だったら、それこそは奇跡だ。 そして、お母さんは手を動かしていた。 吉岡聖恵さんが歌っている間も、個性的な 客が面白い質問をしている間も。 時々、娘さんがじっとステージを眺めているときだけ、 お母さんの手も止まった。 娘さんがお母さんに向き直ると、お母さんの手が、 また、機能的に動いた。 お母さんが手を動かす、といっても、「気まぐれ ロマンチック」の振り付けをずっとやっている わけではない。 当たり前だけれども。 お母さんは娘さんに手話をしていたのだ。 僕はびっくりした。 どの程度娘さんが耳が不自由なのかわからないけども、 ライブで手話をみるなんて考えもつかなかったからだ。 勿論、僕はその娘さんがどの程度の聴力なのかを 知らないのだけれども。 弱聴なだけかもしれない。 見に来ただけなのだろうか。 ファッション誌にも連載がある吉岡さんのルックスの ファンなのだろうか。 なにより、耳を広げている僕らと同じくらいに、 楽しめているのだろうか。 そんな風にさえ考えた。 すごく、気になったから、僕は時折振り返った。 娘さんはステージと、そして、お母さんの手話をかわるがわる 眺めていた。 曲が終わると拍手をしていた。 めがねをかけていたから目の表情はわからないけど、 頬はゆるんでいた。 そして、面白いMCには、タイミングはずれているけど 口が笑っていた。 間違いなく、楽しんでおられるのだろう。 それが、僕らとは違ったとしても。 僕らの多くは耳が聞こえる。 そして、耳が聞こえるからこそ、音楽が楽しめるんだって 思っている。 でも、その娘さんをみていると、それだけじゃないんじゃ ないかって思う。 きっと、歌詞や、あるいはアーチストが何かを届けようと している表情にも、歌と同じくらいの力が宿っているの かもしれない。 耳の聞こえる僕らは、そこに不幸にも気がつけないだけ なのかもしれない。 結局、いきものがかりの素晴らしさはみんなのものだ。 聴力の有無を超えるほどに。 そして、みんなには、各々、一人一人の楽しみ方が あるのだろう。 わたしだけの楽しみ方は、誰にも犯すことができないし、 同時に誰にも理解できない。 いや、耳が聞こえにくいことでさえ、わたしだけの 『音楽』の楽しみ方を邪魔することは、時として、 できないのだ。 いきものがかりは、みんなが楽しめて、そして、あなた 独自の楽しみ方だってある。 そういうものを、僕らは芸術とか、芸能とか、呼んでしかる べきなのだろう。 と、きっと、いきものがかりの皆さんにいったら、謙虚に 照れてくれるような気がするのだけど。 ※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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