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3月11日に発生した震災から1週間たちました。
亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。 避難所暮らしを余儀なくされている方々、お見舞い申し上げます。 全国からのご支援本当にありがとうございます。 まだ混乱は続いていますが、記録のためにブログを更新しようと思います。 3/11(金) 2:46 岩手県雫石町の会社で仕事中に大きな地震が発生。最初は「地震だなあ」と軽く考えていたら、結構揺れが大きく、時間も2分以上揺れていた感じ。 「これはいつもと違う!」と感じて従業員が屋外に避難。停電。その後社長指示で従業員は帰宅、自宅待機に。 帰りの国道は信号が全て消灯していて、所々で渋滞。無茶な追い越しする人も居て危険。なんとか自宅に到着。 自宅の被害は2階の箪笥が倒れて本棚の本が全部落ちていた程度。子供達は帰宅して家族6人の無事を確認。停電しているが水道は使えた。 携帯電話は繋がらず、親類縁者との連絡は取れず。 何度も余震が続く中、飲料水とLEDランプ、カセットガス、食糧を準備。 日が暮れて街は真っ暗になり、屋外では星がとても綺麗だった。 停電で暖房が使えないのでキャンプ用の寝袋や布団を1階に並べ、服を着たまま休んだ。ラジオだけが情報源。余震が絶え間なくあり熟睡は出来ず。 3/12(土)自宅にて散乱した本や物の整理。余震が続くので靴を履いたままの作業。停電のままなので服を着て寝袋に入り1階で寝た。前日と同じくラジオだけが情報源。余震が絶え間なくあり熟睡は出来ず。 3/13(日)午前中に会社に行ってみた。社長と総務部長以下数人が従業員の安否確認のための打ち合わせ。一旦帰宅。午後に電力復旧したので出社せよと連絡あり再度出社。社内の点検。夜まで操業再開のための会議が行われていた。千葉の本社との通信回線が切れ、内線通話とLANが使えず。Eメールも生産管理システムも給与システムも使用不可。 帰宅して夕食を取り、今夜も停電の中寝ることを覚悟していたが、夜10時前に電気が復旧。 3/14(月)出社。FOMAの携帯電話カード使用によるリモート接続で千葉本社のシステムに接続可能。3回線を確保したが本社は休業日となりシステム担当者とは連絡取れず。生産管理システムと給与システムは停止中らしい。 沿岸部の被害は甚大らしいことが分かった。 3/15(火)出社。通信回線が復旧しないので本社の生産管理システムと給与システムを使わずに会社運営する方法の検討会。厳しい。 テレビで見る被災地の惨状は現実のものとは思えない。 3/16(水)午後に本社との通信回線復旧。順次全てのサーバーが利用可能になりシステム関係はほぼ復旧した。生産設備も少しずつ動き出した。 日々テレビやラジオで流れる被災の惨状は想像を絶する。その一方で避難して生存している方々のリストも報道され始めた。 以降は通常どおり出社していますが、通勤の為のガソリンが手に入らず、近所の人と乗り合いで通勤しています。 コンビニは商品が入荷せず殆ど閉店。ガソリンスタンドには数キロの行列ができているが、10リットルずつしか入れられない。閉店も多い。 スーパーはパニック防止の為か店内に客を入れずに店頭販売のみ行っているお店が多く、長蛇の列ができていましたが昨日今日あたりから通常営業になりました。ただし乳製品が品切れだったり買占め防止の購入点数制限があったりします。 内陸部は少しずつ普段の生活を取り戻しつつあり、一般市民の間でもボランティアや沿岸部に物資を届ける活動が活発化しています。 完全復興には長い時間が掛かると思いますが、被災地は必ず復活すると信じています。 まだ頭の中の整理がつかずこんな文章になってしまいすみませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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