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*************************************************************************************** * * * * * ★マイ・ビデオ紹介…ビデオを見直し書き残した一昔前の旅 格安追求 『青春18切符で行く日本縦断』 前後編通算No.48〔後編No.1〕 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ★後編の始めに ※本シリーズは、古い旅の8mmビデオの画像を静止画に変換、これを挿絵に使い、早一昔にもなる1997年夏の日本列島縦断鈍行列車の旅を改めて見直し、パソコン自習の為の一助として始めたブログにテスト的に掲出することにしたものです。 こうしてソノ旅の前半である九州各地を遍歴した7月下旬9日間の旅は、画像を中心にした絵物語として昨年末までに47回に亘って紹介してきました。 又これから紹介する後半の8月下旬8日間の旅は、帰宅後に撮影を終えたビデオの編集用にと画面を見直しながら書き残した紀行文を主体として活用、これにビデオから静止画化した挿絵を程々に加えた文章中心の旅行記として書き進めたいと思います。 つまり後編は、絵物語風に纏めた前編が楽天の画像制限に合わせて次々と挿絵を削除し、今では無残な虫食い状態となっている事を考慮、後日も見苦しい思いをせずに閲覧できるよう配慮した紀行文を目指します。 さてその後編の旅は、青春18切符を最大限効率的にと、主目的地は北海道の北辺各地を探訪する旅ではありましたが、前半の7月下旬の旅と同じ下りの座席指定快速「ムーンライトながら」で一旦名古屋まて西下。ソノ上で中央線に乗り継ぎ、以前から折りあらば行きたいと考えていた沿線の観光名所二・三箇所を巡り、今度は日本列島の北辺までを目指す鈍行列車乗り継ぎの旅の、真の意味での出発点とも言える東京・新宿駅へ向かいました。 尚、初めて本シリーズを御覧の方は去る2005年9月2日の初回に掲出した前書きの内容を良く御理解いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し前述の通り「絵物語風に纏めた前編の画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと見込まれた為、その際は古い日付のものから順次削除し新たな画面を紹介していきます。」として纏めた為、殆どが説明文のみの虫食い状態になっておりますが、その点は何卒ご寛容下さい。 それでは、そんなアトラクション的な後半の旅の始めも含めて、順次回想の筆を進めたいと思います。 * * * * * 1997年8月21日 ★目指す北海道を背に、 一旦西へ向かった青春18切符旅 一ヶ月前の九州行きと同じ大垣行き快速「ムーンライトながら」で名古屋まで一旦西下、中央線に乗り換えて中津川からバスで中山道の馬篭に向かった。天候も同様に恵まれていて、今回も出発間もない真夜中の車窓に、真ん丸顔の月が旅立つ私を見守るように美しく輝いていた。 予約満席で一寸気がかりだった名古屋までの座席指定券も、沼津からだと下車する乗客がチラホラ出始め、前回同様に専務車掌に頼み込み何とか入手でき、初めから立つ事も無く済んだ。若しも入手できずに豊橋まで立ちん坊するようだったら、始発駅の東京では後発なのに同駅で何故かこの快速「ムーンライトながら」を追い越す、後続の同じ大垣行臨時普通列車「普9375M」に乗り換えようと思っていたが、そんな小細工も無用となり先ずはヤレヤレの旅立ちだった。 それにしても、座席指券510円が必要な快速列車が、座席指定ナシの後続普通列車に追い越されるのは些か妙な気もする。でも、もしかすると、私のように空席待ちで快速「ムーンライトながら」に乗り込んだ長距離客が、豊橋までに空席が出なかった者の乗り換えを可能にする為の対策列車が、この10分差程で並行運行される後発先着の「普9375M」かも…なんて事を、この長距離夜行列車を利用する度に何時も思う。 とかく利益優先が懸念されるJRだが、こうした庶民乗客にも優しい並行列車の運行を立案する気の利いたダイヤ編成も残っていることが、何となく嬉しい私だった。 尤も、こうして名古屋まで「ムーンライトながら」で終始座れたものの、名古屋への到着は「普9375M」に豊橋で追い越されて後着となったので、中央本線への乗り換え時間が僅か5分程となり、重い荷物を携えての地下道越えに一汗流させられる事となった。 ★日本列島北辺の旅への助走、中央本線沿線での道草(1) 【中仙道・馬篭宿(マゴメジュク)】 中津川駅から馬篭へのバスが山間に入ると、途中に一寸洒落れた公営のレジャーセンターがあった。螺旋の滑り台風呂など子供連れも喜びそうな各種入浴施設が完備しているとの事。昨今こうした施設の建設が各自治体で盛んだ。ここもそうした流行の一施設に違いない。一バス遅らせて一風呂浴びて行くかとも思ったが、料金が一汗流すにしては少し高そうなので先を急ぐ事にした。 馬篭宿は藤村の故郷として「夜明け前」で紹介された所。妻籠宿へ向かう峠道の石畳は往時と余り変らないが、両側に並ぶ家々は殆ど最近建て替えられていて年輪を感じさせる姿は既に無い。そんな事を残念に思いながら坂を登って行くと藤村記念館があった。だが未だ開館前と知り引き返しかけたところへ、切符売場の女性がやってきて運良く入館できた。しかし次の妻籠宿へのバスが気懸りだったため、美しい庭を見下す一角にある中二階となった藤村の勉強部屋を外部から暫時垣間見る程度となってしまい、些か心残りの見学となる。 朝霞が濃く薄く地上近くを漂い、まるで乳白色のグラデーションベールを描けたうな坂下の遠景に見惚れながら、荷物を預けてきたバス停前の食堂へ戻る。山菜蕎麦に舌鼓を打ち、一服しながらバスを待って妻籠へ向かう。 ↓思い出のスタンプ。馬篭&妻籠 * * * * * 【中仙道・妻宿(ツマゴジュク)】 乗客の殆どが各地からの旅人らしく、アチラコチラで旅の話や初対面の者同士が自己紹介を交わす会話が和やかに弾む車中だった。馬篭から大分走った茶屋前のバス停で、「ここから歩こう!」と関西から来たらしい元気なオバさん二人連れが下車して行った。何でもこの先に美しい滝があり、妻籠まで歩いても一時間足らずだと話していた。 妻籠は馬篭より住民の旧状保存意識が強いと聞いていたが、なるほど古いままの家々が軒を連ねていた。また坂道に沿って並ぶ馬篭宿と違い割りに平坦な街道沿いの集落で歩き易かった。ここでのバスの待ち時間が余りに長かったので、一度戻ったバス停から再び街道まで立ち帰り、家並の外れ近くにあった日本でも指折りの古木と聞いた金木犀を見に行く。それでも未だ残り時間がタップリだったため、バス停に程近い街道にあった昔風の郵便局にも立ち寄り、千円を預け通帳に訪問記念の局名印を押してもらってから南木曽(ナギソ)駅へ向かった。 やがてバスは行く手の渓流沿いに「読書発電所」と書かれた建物が見えたので、ビデオカメラに収録しながら「あれは<ドクショハツデンショ>です」とナレーションを加えたところ、同乗していた土地のお内儀さんが「<ヨミカキ>と読むんだ」と教えてくれた。一瞬車中に笑いの渦が巻き一寸赤面させられる一幕もあったが、若いころ勤め先の朝礼で「今度の社員旅行は潮来(シオライ)です」と言い、部下達の失笑を買った課長の顔が何故か懐かしく思い出されたものだった。 余談ながら、この辺には「馬篭」(マゴメ)・「妻篭」(ツマゴ)・「読書」(ヨミカキ)・「南木曽」(ナギソ)などと、大分読みがヤヤコシ過ぎる地名が多いようだ。私のように記憶力が衰えかけた浅学者は、訪問後の今も思い出しかねガイドブックの振り仮名を確かめなおす有様であるが、振り仮名省略のものも最近は多い。読者の中には編集者のように博学聡明な人ばかりではないことを念頭に、読み違いそうな地名や人名には出来るだけルビーを付けてもらえると有難いのだが…。※(以下、次回に続く) *************************************************************************************** 【旅の思い出画像コーナー】 ※誠に恐縮ながら、ビデオからの静止画作成方法を忘却。目下再チャレンジ中のため 後日掲載といたします。《誠》 *************************************************************************************** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月29日 20時47分51秒
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