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カテゴリ:日常
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たぶんレイダースさんがリンク張ってくれたからかな…( ;´・ω・`) 期待を裏切って悪いけども「ダヴィンチ・コード」を見に行ったのでその感想など。 以下ネタバレです。 読みたい方だけ反転をo┤*´Д`*├o 最初に小説を読んでから行ったので正確な映画批評とは言えないかもしれませんが、いちおうの感想を。 まず小説でも映画でも感じたことだが、館長が殺されるときに、果たしてこんな準備ができるのか!?と思った。絵画の前に暗号を残したり服をきれいに脱いでウィルスムス人体図のように寝転がったり、とにかくほんと死に際ですか?と言いたくなってしまういきなりのこの事件(;´Д`) 腹を撃たれただけなので、死ぬまでに時間があった……とのことらしいが、なんというかちっと無理しすぎな感が…… でもこの発想はとても良いと思われます。 矛盾したことを言ってるみたいだけど、あたしが評価しているのはキリスト教の教えが根底からくつがえされるかもしれない秘密、というアイディアのことね。 日本人じゃまずこういう小説は書けない。 日本はほぼ無宗教に近くて、この映画を見てもたぶん「キリストに奥さんがいたって、それがどうしたの?」って感じでそ。 キリスト教がらみの映画ってのは結構アメリカではある。 「エクソシスト」「13デイズ」「オーメン」などなど……キリスト教の信仰とか伝説などそれほど深く浸透している。 それが根っこからひっくりかえされるという今回の映画、ある意味キリスト教が悪役のような役割(悪役ではないとあたしは思うが陰謀をめぐらしているさまはまるで悪役です;)を担っているのはとても新鮮であった。 ダヴィンチが絵画に残したメッセージ、「最後の晩餐」をあらためて見たときにびっくり。 ほ、ほんとだー!女の人やこれはー!! 先入観ですね……ほんとに。。 女の人が1人紛れてる。そして不自然にキリストの隣にいるのに距離をとっている。 そして首に手をつきつけられて脅されているようにも見える。 聖杯伝説が生まれたのはこのときだというのに、杯は1つではなく12こもある。 そしてキリストとマリアの間のスペースは▽という形だり、杯……つまり「女性器」をさしている。 よくよく見てみるとこんなにも絵画の中にメッセージが潜んでいる。 思うに、著者はこの絵画を見て小説のアイディアが浮かんだんじゃないのかな…… と、まあ暗号解読する事件なのにシラスという存在、裏切りや陰謀もあってなかなかスリルもあり、退屈しませんでした。 ただあたしは先に小説を読んだので、映画のみの方はちょっと??なところもあるかもしれないなあ。展開がいきなりすぎだしね;; メインの2人、ソフィーとラングドンは小説ではラブラブになったみたいだけど、映画では最後、ソフィーをラングドンが抱きしめただけで終わります。 映画の展開のほうが好きだな。 男女が危険な事件に巻き込まれる→ラブ発生v っていうこの展開はもうやめようよいい加減…… 思うにラングドンはソフィーの保護者のような愛で包んでいたと思う。 そのほうが素敵です。 こんな感じかの。 学校の友達と一緒にクレープ食べながら見たおo┤*´Д`*├o ダイエット中なのに…… ちなみに今o┤*´Д`*├o←がブームです。 o┤*´Д`*├o o┤*´Д`*├o o┤*´Д`*├o 流行らせるのでよろしく。 そこのあなた、即辞書登録をヽ(´∀`)9 ビシ!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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