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カテゴリ:日常
探偵ファイルさんにメールをしたら、
「創価です(2月12日)」という所の記事でメールが載りました。 以下は↑で要約されていない、原文のまま載せますね。 はじめまして、BOSS。 今回、創価学会について記事が連続で書かれているので興味深く読ませていただきました。 私は創価二世として生まれたときにすでにこの学会に入信していますが、特に活動はしていません。小さい頃はよく集まりに連れていかれ歌を歌ったり、勤行をしたりしたのですが、お菓子を食べられるのでそれだけが嬉しくて行くような退屈な集まりでした。 そして育つにつれ色々と疑問を持つようになり、自分には必要の無い宗教だと感じ、脱退も考えました。宗教は心の弱い人間が求めるものであって、私には必要がないと考えているからです。 けれども私の母にとってはどうしても必要な宗教らしいのです。新聞勧誘でどんなに断られても、どんなに馬鹿にされようとも、友達に疎遠にされようとも、新聞勧誘や勤行で幸せになれると考えています。私の家はローンの返済がうまくいかず自己破産となったのですが、それでも信じています。そのストレスでリュウマチになろうが、それでも信じています。というかそれぐらいしかすがるものが無いみたいなのです。 私は日本人ですが宗教に否定的ではないので、信じるものがあってそのおかげで生きていくことが出来るなら素晴らしいことだと思っています。「一念岩をも通す」と言いますが、ここまで信じきっているなら何もしないよりは何かしらのパワーのようなものが働くのではないかという気はします。 創価学会の悪いところは激しい勧誘をする会員がいること、そしてその激しい勧誘をする会員があまりに目立つので、創価学会の人間全員が悪い人間として一般の人に見られていることだと思いました。激しい勧誘をする人もいますが、世の中に色々な人間がいるように創価学会にもおかしい人間と正常な人間がいます。まあ、団体として行動しているから全体的に見られても仕方がないことなのですが……あまりに会員が多すぎて統制がとれないのでしょうね。 活動はしていませんが、いまだに私は学会を脱退していません。これは私の母のためです。私が脱退すると非常に母は悲しむでしょう。これは学会員としてではなく一個人として抜けられない理由です。ただそれだけです。私はそこまでこの宗教を信じきるパワーが無いので、入っていても無意味です。 けれども怖い目にあったりすると、私が自然に心の中で唱えてしまうのは勤行であり、「神様!」と叫ぶのではなく「ご本尊様!」と叫んでしまいます。小さい頃からの習性が抜けないのもあるのですが、本当に宗教は自分にとって全く必要ないのかと自分に問いかけると、いまだに答えは見つかりません。自分の家が創価学会でなければここまで苦しみながら成長することは無かったので、たまに創価学会関連のニュースを見ると本当に苦しいです。創価学会を批判するのも苦しいし、擁護するのも苦しいのです。 私は創価二世でありながら創価のみならず宗教について勉強不足なのでBOSSの考えからすると、まったく幼稚な見方をしているのかもしれません。けれども二世として夕暮れどきからずっと眺め続けている人間としてメールを送らせていただきました。駄文・乱文失礼しました。 実は探偵ファイルにメールするのははじめてだったりします。 あと、自分が創価だってことをこうやって公に明かすのもはじめてだったりw 彼氏さんとか親しい友達には、聞かれたり話題にのぼったりしたときに話した。 いやー憧れてたBOSSと心が少し通じ合った気がして嬉しかった。 うちみたいな創価の人って、結構いると思うよ、ほんとに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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