【知的好奇心を満たす】多元宇宙(マルチバース)論集中講義
多元宇宙(マルチバース)論集中講義 ゼロってことにしたかった真空のエネルギーが、ゼロではないことがはっきりしたことで、かつては完全スルーに近かった「真空のエネルギーが違う値を取るいろんな種類の宇宙があって、その中でたまたまものすごく小さい値を取ったのが『我々の宇宙』である」というワインバーグのマルチバース論が改めて引っ張り出されることになりました。著者・編者野村泰紀=著出版情報扶桑社出版年月2024年3月発行著者は、カリフォルニア大学バークレー校教授で、量子重力理論やマルチバース宇宙論を専門に研究している物理学者の野村泰紀 (のむら やすのり) さん。数式など一切使わずに、多元宇宙(マルチバース)理論を平易に解説してくれる。野村さんが最後に記しているように、「マルチバース宇宙論のような壮大な話は、逆説的ではありますが、そのちっぽけな生活をちょっとでも知的に豊かにする」ものだと思う。我々が「宇宙」と呼んでいる領域は、どこでも同じ法則に従って動いているように見える領域のことだ。ところが、1987年にアメリカの物理学者スティーヴン・ワインバーグは、「宇宙があまりにも我々にとってよくできすぎている」という謎を解くために、「我々が知っている宇宙以外にもいろいろな種類の宇宙が存在する」と仮定することで解き明かせると主張した。ここからマルチバース(多元宇宙)理論がはじまる。マルチバースは、我々の宇宙とは異なる時代(ビッグバン以前?)にあるかもしれない、我々から折り畳まれて見える別次元にあるかもしれない、はたまた量子力学的に同時に存在するかもしれない。一般相対性理論と量子力学を統合できる可能性がある超弦理論では、我々の宇宙とは違う別の宇宙の「解」が山ほど出てくる。それら別の宇宙では、素粒子の種類や質量、真空のエネルギー密度といったものが我々の宇宙とは違っているということが導かれる。我々の宇宙では人間だけが特別な存在ではないというコペルニクス原理のもと、科学は発展してきた。ところが、科学が発展すればするほど、我々の宇宙の物理法則は人間にとって都合よくできていることが分かってきた。もし神様が宇宙を創ったのではないとするなら、宇宙というものが無数にあって、その中からたまたま「特定の値」を得た奇跡の宇宙に我々が住んでいると考えるしかない。20世紀後半、真空のエネルギーが観測できるようになると、観測地が理論値より120桁も小さいことが明らかになった。その辻褄合わせをする様々な仮説が提唱された。その中で、1979年に電弱統一理論の研究でノーベル物理学賞を受賞していたワインバーグは、たまたま「我々の宇宙」は真空のエネルギーとして120桁小さい値を取っているにすぎない、と考えた。だが、彼の論文のタイトルに「人間原理」という言葉が入っていたこともあり、科学界はその考えにすぐに同意できたわけではなかった。そして、1998年に宇宙の加速的膨張が発見された。この加速膨張させているのが真空のエネルギーと考えられ、我々の宇宙では、物質のエネルギー密度と真空のエネルギー密度の日が3対7と見積もられた。ところが、これが新たな謎を呼ぶ。両者の比は3対7――桁が違うわけではないから、宇宙論的スケールで見たら、ほとんど同じ値と考えても差し支えない。しかも、物質のエネルギー密度は宇宙の年齢とともに低下するのに、真空のエネルギー密度は変わらない。我々人類は、なぜそれほど都合がいいタイミングで登場したのかという新たな謎が生まれた。ここでワインバーグが提供したマルチバース理論、すなわち、いろんな種類の宇宙があって、その中でたまたま真空のエネルギーがものすごく小さいのが「我々の宇宙」だという主張はおそらく正しいだろう、と考えられるようになった。さらに超弦理論がマルチバース理論を後押しする。超弦理論は10次元の時空間を予想するが、われわれが知覚できる4次元を除いた残りの6次元はコンパクト化されていると考える。コンパクト化された6次元の空間がどのくらいあるかと言うと、十分に安定した形になるものに限定しても10の500乗通り以上あると見積もられている。ワインバーグの理論を使うのに必要だった10の120乗種類よりはるかに多くの種類の違う宇宙が存在する可能性がある。現代のビッグバン理論は、この宇宙をかなり精密に記述することができる。だが、ビッグバン直後の様子や、ビッグバン以前のことは分からない。アラン・グースはインフレーション宇宙論を唱え、その後に改良されたスローロールインフレーション理論によると、量子力学的な揺らぎが原因で、宇宙の中には違う種類の宇宙がボコボコと、まるで泡のように生まれる。これがマルチバースだ。そして、このインフレーションを引き起こした場のポテンシャルエネルギーが熱エネルギーに転換され、インフレーションが止まるとともにビッグバンが起きたという。われわれは光の速度より速く進むことができないため、他の泡宇宙に行くことはできないが、精密な観測で親宇宙からのシグナルを受け取ることは原理的にはできる。こうした新しい理論は、ビッグバン理論では説明がつかなかった「地平線問題」「宇宙が平坦すぎる問題」「宇宙構造の小さな揺らぎ」について一定の回答を与えてくれる。たとえば、初期宇宙にあった10万分の1程度の密度の量子的な揺らぎをコンピューターでシミュレーションすると、そこにダークマターがあるならば、現在の宇宙の姿になるまでをほぼ完璧に再現することができる。野村さんは、「マルチバース理論は少なくとも現時点では、観測されている宇宙の加速膨張を理解する事実上唯一の理論であることは間違いありません」という。マルチバース理論が証明されても、ビッグバン宇宙論やインフレーション理論が無くなるわけではない。ただし、マルチバース理論は宇宙の曲率が負であることを予想しているので、もし観測により曲率が正ということがわかったら、この理論は棄却される。野村さんは哲学者カール・ポパーを引用し、「原理的に反証可能性のあるものだけをサイエンスと呼ぶ」と定義する。第6講でエンターテイメントの中でマルチバースが取り上げられている例として、映画『スパイダーマン:ノーウェイ・ホーム』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』、そして、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が紹介されている。野村さんは、「そういう作品を入り口にして、マルチバースという言葉を知ったり、理論物理学や量子力学に興味を持つ人が世の中に増えてくれたら、それを生業とする人間としては単純にうれしい」と好意的で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にはそういう解釈があったのかと感心するとともに、残りの2作品も見てみたくなった。また、タイムトラベルについて「過去に戻るタイムマシンというのは、自分と周りの時間の経ち方の向きを反対向きにしなければならない」という指摘をする。これは盲点だった。これは物理学的に不可能であるし、そう言われてみれば、過去に戻っているのではなく別の宇宙(マルチバース)へ移動しているということになる。野村さんが「あとがき」に記しているように、「自分が今まで知らなかったことを知るのは楽しいし、そうやって知的好奇心が満たされることは、僕ら人間にとって大きな喜び」であることには同感だ。私も、日々あくせくと稼がなければならない身の上であるが、その稼ぐ額には物理学的が限界がある。ならば、金銭に頼らない知的好奇心を満たすことで生活の豊かさを感じたいと願う者である。