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カテゴリ:コンサート
舞台が終わった後の心理というのは、その都度違うものです。 でも、私によくあるパターンというのは大筋で決まっています。 そのパターンとは 「まだまだ弾きたかったなあ」 というもの。 今回のリサイタルは、その度合いがいつもと比べ物にならないくらい・・・ プログラムが後半になる辺りからは 「もうすぐ終わってしまうことが残念」 などということも考えていました。 演奏中の全身が明るく輝き、宙に浮いているような心地・・・ あの感覚は、こころの透明度と密接な関係があるのでしょう。 こういうお話が、ストレートに伝わるお客様がいらっしゃること。 それも大勢いらっしゃることは、私の喜びです。 でもこれは、ホールでのリサイタルに限った事ではありません。 小中学生のためのレクチャーコンサートの時もまたそうなのです。 私がしたいこと、すべきことは、全身全霊でピアノに向かう。 これに尽きます。 あとのことは、自然発生的で説明不可能な現象・・・ 不思議なことは いつまでも謎のまま というのも尾を引いて素敵です。 このようなことを漠然と考えながら、バラを眺めています。 札幌からご来場のお客様よりいただいたバラです。 これは2008年に発表されたフランスのバラで、 サムライ という名前がついているのだそうです。 バラというと、香料専用のブルガリア産 ダマスクローズを思い浮かべます。 ダマスク織も知られていますね。 そこで、1920年前後に織られたと思われるチェコ製のダマスク織のクロスに、 サムライを乗せてみました。 このクロスの角には、盾の模様が1つ刺繍されているのですが、 サムライとイメージがマッチするかな? などと思います。 こうして連想を続けていくと、斜めストライプの間に盾模様が並ぶ、 ロイヤルクレスト柄のネクタイがとても似合う友達のこと。 彼と知り合った頃にレパートリーの1つとなった曲が、 今回演奏したバルトークのルーマニア民俗舞曲集であること。 他にも大切な人や思い出の数々が浮かび上がってきます。 全てが、私という存在を構成しているのです。 バラ1輪を眺める。 方向や角度、時間、時間の経過、その時の心理などなど・・・ 条件下によって見え方、受け取り方が変わってくることは、 そこはかとないものがあるということの表れです。 音楽もまたそうで、表現には無限のヴァリエーションが存在します。 そのヴァリエーションが作曲家の真実と合致すること。 このことをさらに尊重して演奏を続けて欲しいと、 私は私に対して願っています。 今度は12月5日に、長野県飯田市の飯田文化会館でリサイタルを行います。 プログラムは今回のものと同じです。 真実の中にまた新たな真実が見えたり、真実の幅が増す・・・ そういう瞬間が訪れるのを待っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年11月24日 13時35分34秒
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