メリーさんのこと 絶対的な安心感
メリーさんのゆるぎない力強さ。その源に触れた私は、彼女から少しでも多くを学びたいと・・・意識的にも、無意識的にもそう思うようになっていきました。ただし、安直に 「どうにかして」 と彼女を頼りにしてしまうのはどうかと・・・:::::::::::::::::物を習うには習うなりの姿勢があるはず。そこでまず、彼女のことをとても好きで、信頼していて、そして、自分を良くしたいという意思があるのだ。というスタンスは持ちつつ、後のことはお任せにさせてもらうことにしました。:::::::::::::::::こうした心構えを彼女はとても歓迎してくれたので、そのことが嬉しくて・・・私はさらに彼女と彼女の言葉に惹きつけられ、より素直に教えを受け止めるようになり・・・・・・気がついた時には、お互い家族の様になっていました。:::::::::::::::::彼女の親しい人たちとも急速に仲良くなり、そこでの人間関係にも多くの安らぎと楽しみがあって・・・それはまた、刺激に満ちたエキサイティングなものでもありましたが、メリーさんがいる時だけに感じる安心感・・・:::::::::::::::::その 絶対的な安心感 というのは別次元のもののように感じられました。・・・なぜなのだろう?そう思っていると、それとなく教え始めてくれるのがメリーさんという人で・・・:::::::::::::::::信じることの大切さは、よくわかっての通りよ。信じないことには何も始まらないの。それで、信じる ということを続けていくとね、知っている という段階になるの。:::::::::::::::::あなたは日本人で、私はポンガウ (ザルツブルグ州の南の地域) の人間。これって信じなくても 知っている ことでしょ。知っている ことだし 事実であり真実でしょ。あなたの信じたことは、これと同じように本当のことになっていくの。:::::::::::::::::知っている ということは 信じる ということの延長線上にあるんだけれど、別の領域とも言えるわ。私は 信じている という時に知覚されることと私は 知っている という時にこころの中で起きていることは違うのよ。:::::::::::::::::私はね、あなたが幸せであるということを 信じている だけじゃなくて 知って いるの。今も十分素晴らしくて、これからもっと素晴らしくなりさらに幸せになるということを 知っているの。:::::::::::::::::・・・私はメリーさんを信頼して、いろいろ学びたいと思っていた訳ですが、それに対して彼女は、ここまで思ってくれていた・・・そのことがひしひしと感じられ、この 絶対的な安心感 にいつまでも浸かっていたい。・・・そう思ったものでした。PS, 写真はザルツブルグ・ミラベル庭園のペガサスの噴水です。