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テーマ:同居は嫌ですか?(1164)
カテゴリ:しんみり
先月、施設から連絡があり、
パンダ父の微熱が続くので、病院に行ってほしいとのこと。 新型インフルでもなく、肺のレントゲン写真もきれい。 あれこれ詳しく検査したところ、血流が悪く血管が詰まってるところがあるらしい。 それでか、つま先やかかとが冷たくて、紫色になってきている。 ちょうどチュソク(中秋節)で連休はおうちで過ごす予定だったので、 病院から戻っても、施設ではなく家にいてもらうことになった。 が、びっくりした。 背中も腰の脇も床ずれが出来ている。 足先は日に日に色が悪くなっていく。 泣きたくなった。 素人が見ても、別れが近いことはわかる。 パンダ母がいつもの質問をする。 「施設に戻る?家にいる?」 もうあまり口もきかなくなったパンダ父が、「家」のところでうなずく。 施設にお世話になる前に介護していた頃は、パンダ母もパンダもいらいらしていたし、 もちろんわたしもしんどくて、 なんで赤ちゃんのお世話はできても、お年寄りの介護はできないんだろう・・・ などと思いながら、いつまで続くかわからないお世話にくたびれていた。 大げさかもしれないけど、地獄だと思う日もあった。 けれど、今回は違う。 明らかに、長く続く介護ではないし、 家族がしてあげられることも時間も多くはない。 となると、自然とみんな優しい気持ちで接することができたと思う。 もしかしたら、パンダ父は家族にもう一度優しい心を取り戻すように、 家に帰ってきてくれたのかもしれない。 子パンダがパンダ父に学校の出来事を話しかけたり、 歌を歌ったりしているのを見ると、 同居はしんどいことのほうが多かったけど、 やっぱり、おじいちゃんおばあちゃんと一緒の暮らしでよかったな。 と、今はそう思える。 施設から帰って来られて、ちょうど2週間後、10月7日の朝、 パンダ父はみんなに見送られて、息を引き取った。 お葬式やら納骨やら、バタバタ時間が過ぎていき、 しばらく経った週末には、日本の実家の母や兄夫婦も、おくやみに来てくれた。 思いがけなく、楽しい時間もすごせて、 これもお義父さんのおかげだね、と話していた。 今でも、パンを焼くとパンダ父を思い出す。 それはパンダ母も同じみたいで、 「奥が焼いたパンを差し入れすると、 お父さん一人で全部食べてしまうんだよ。 あたしに 『お前も1個食べるか?』 なんて聞いたことないわよ。」 と話してくれた。 生前はそれすらも、わたしはボケ食いではないか?と思っていたが、 よく考えれば、パンダ父が誰よりも美味しく食べてくれていたんだよね。 いつも、誰かが亡くなると、思い出すのは 宮沢賢治の『永訣の朝』という詩だ。 賢治の妹が亡くなる間際に、 「あめゆじゅ とてちてけんじゃ」 (雨雪を取って来て 賢さん) 外はみぞれが降ってるから、お碗にみぞれを取って来て、 と兄に頼む妹とし子。 賢治は曲がった鉄砲玉みたいに、欠けたお碗を持って飛び出していく。 妹がそう頼んだのは、賢治を 「いっしゃう あかるくするために」 (一生明るくするために) だと賢治は考える。 死にゆく人を前にして、残される人が一番辛いのは、 もう何もしてあげられないと思う無力感ではないだろうか。 それをわかっていたから、妹とし子は死の間際、 賢治にできることを頼み、賢治を一生明るくしてやろうと思ったのだと思う。 パンダ父も、とし子のように、残されるパンダ一家を一生明るくするために、 最後に家に帰ってきてくれたのだろうね。きっと。 ありがとう。お義父さん。 これからも家族仲良く元気に暮らすからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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