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カテゴリ:ひとりごと
わたしの姉は とっても小さい 身長148cm 体重… これは秘密である。
この姉はすごい頑張り屋だ 子どもは3人 1番上は高校1年 一応甲子園を目指す高校球児である 毎日朝練に間に合うように 市外の自宅から自転車で、福岡市内の高校まで通っている。 もちろん食事の管理も大変で、弁当も毎日作っている。 試合があれば応援に行くし、炊き出しもやる! 2番目は中学2年になる男の子 3番目は我が息子2号と同じ小学2年生の女の子。 この子の将来の目標は 小児科の女医さんである。 この子が何故、こんなに小さなうちから小児科医を目指すのか… それは、2番目の男の子が第1級障害児であるからである。 ほんの生まれた頃から、おにいちゃんの治療についていった。 そしてその治療風景を見ているうちに自然と 医者になりたいと思ったのだ。 姪っ子の強者伝説 姉と一緒に自転車に乗っていて足を車輪にまき込まれザックリ切ってしまった。 普通ならここで泣き叫ぶと思うが、治療中自分が縫われるとこをしっかり凝視。 泣きもせず、治療の手順をしっかり確認していたそうだ…。 2番目の甥っ子。彼にできること寝返り、泣くこと笑うこと。 初めて、彼に障害があると分かったのは3ヵ月検診 いつまでたっても首が据わる様子が見えなかったこと。 分かってすぐに、その頃川崎に住んでいたわたしのところに泣きながら電話をかけて来た。 子どもと二人で死ぬことも考えたようだ。 でも、姉は子どもと生きることを選んだ。 この子をできるだけ長い時間生きさせてあげることを そして、ごく普通に親が願う幸せを与えてあげようと。 小さいうちは、生死の境をさまよう発作を何度もくり返し、 薬を調節し、生きようとする彼を支え もちろん家族を支え 頑張る姉。 そんな中、将来の介護のためにと病院で出産を勧められた。 遺伝等の可能性は少ないものの完全に否定はできない 考えに考えたすえ 姉はもう一人子どもをもうけることを決意した。 もしも、また同じ障害を持って生まれて来ても受入れる覚悟を決めて。 あの小さい体のどこにそんな強い心があるのか…。 甥っ子にしても、いま通っている養護学校では同じ症状の子たちは流動食を食べさせている。 でも、姉は、普通食に近いものを彼に食べさせて 体を丈夫にするために頑張った。 おかげで、いまでは姉が抱えるのに苦労するぐらい大っきくなった。 食事以外でも、できるだけいろんな体験をさせてあげたいと旅行もする。 もちろん、彼の体の個性に合わせた生活をしているが それ以外はいたって普通の生活をしている。 体力もいる、強い精神力もいるそんな中でいつも笑っている姉は わたしの自慢である。 姉の子ども達への愛は深くて広い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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