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カテゴリ:ひとりごと
おはようございます。 そろそろ明るい話題を…と思っている管理人ですが、 まだまだ、息子2号には決着尽きそうもありませんので どうしてもそれ関連のはなしに… きのうの 『息子2号がかえってきた』に machichi4765さんに以下のようなコメント頂きました >疑問に思うのは、パンツ下ろしのような心が傷つく事を何故今の子はするのでしょう。 暴力の否定が心を傷つけるのかな・・・なんて思っています。 勿論暴力を肯定するのではないけれど、時には殴り合いも必要かもね。 私も暴力を肯定するわけではありませんが… 沢山の言葉よりも イッパツの平手打ちが効くこともあると思います。 ま、これは本人達の取っ組み合いのケンカではなく叱る大人の方です。 体罰の否定がいわれるようになってどれだけになるでしょうか… 私は、子どもころ、恩師(息子のバドの監督です)に 平手打ちをもらったことがあります。 うちのクラスにいた子は全員もらってます。 なぜって? それは全体責任だったから…。 たしか、掃除の時間に 掃除をせずにぞうきん野球をしていて遊んでいたこがいたのですが、 それを誰も注意もせず、やっている子たちもいいかげんにしていたと思います。 全員で教室掃除をするわけではないのですが、当番の子以外も見て見ぬ振りだったのです。 で、何で誰も注意しようとしなかったのか…。 自分達が使っている教室を心をこめてきれいにするという感謝するきもち。 決められた時間に決められたことをするルールを守るということ。 善悪の判断。 任された仕事をやりとげる責任感。 仲間の間違っている行いを注意するということ。 小4の時だったかな? このとき先生のされたお説教は全然覚えていません。 ただ一発の平手打ちの中に全ての思いがこもっていました。 この日クラス全員が平手打ちをもらいました。 私が小学生の頃ですからその当時クラスには40~45名がいました。 もちろん帰って、この出来事を親に報告して、親から先生は苦情がきたと思います。 でも、生徒は、先生を嫌うのではなくそれ以上に慕っていました。 今思うと、自分の子どもを育てるとき あの平手打ちの重みが伝わります。 一人にはたった一発の平手打ちでも 先生はそのつど、自分の気持ちを込めて 生徒を叩いたと思います。 その都度、先生自身にも手に痛み、心に痛みを感じていたと思います。 今の子どもは、親からも叩かれることは少なくなりました。 叱るのも、感情的に怒られるのか、穏やかに話し聞かせるのか。 それがどんな行いにしてもです。 そして、子どもは、心にも思っていなくても謝ることができます。 低学年のうちは 大人は 畏怖の対象かもしれませんが、 小学校高学年、中学校と身体が大きくなるにつれ、 大人は ただ口先だけでいうだけで、何もできないことを覚えるのです。 大人の前ではいい子、子ども達の中では… または、大人でもおさえることができない子 こうなってしまって、あわてて気付いてどうにかしようとしても 親も我が子を諭すことができなくなっているのです。 そして最悪なとき、大人は手におえなくなった子どもを警察に引き渡す。 小さなときだからこそ、大人は人として必要なものを 真剣に子どもと向き合っておしえてあげなければと思います。 今はまだ小さいからではすまされないのです。 『三つ子の魂百まで』とも言います。 子どもに本当に必要なこと考えてみませんか? そして怒るのではなく、叱るということの意味も…。 とくに、若い世代の親御さんにそう伝えたいと思うこの頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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