あたしのごく個人的な弔辞
先週は結婚式、今週は葬式だ。先日来ずっとあたしを苦しめていた例の事件で、今日、目黒で密葬が行われ、お別れをしてきました。ちょうど今朝、起きてつけたニュースで歌織容疑者の新証言があり、「慰謝料をもらうだけでは足りない。復讐のため殺してやっとけりがついた。いつか殺してやろうと同居していた。」という発言。全身に鳥肌がたった。なんてことを・・・・会場へはあたしと母とチビタで。チビタは単純に「ばぁばと電車に乗ってお出かけよ」としか言っていなかったので、楽しそう。「京浜東北線に乗って、山手線に乗って、タクシーに乗った!」とひたすら大はしゃぎ。どん底な女2人とご機嫌な小僧。葬儀会場は小さくて駅から離れた解りにくい場所。通常なら「○○葬儀告別式」とか掛かれる看板もなく会場に入ると職員の人が「三橋祐輔さんのご葬儀ですか?」と恐る恐る話しかけてくる。受付にも名前はなかったが、記帳してご霊前を差し出す。会場には当然棺はなく、祭壇にはすでに荼毘に付されたゆうくんが小さい白い箱に入って鎮座していた。チビタが騒ぐといけないので一番後ろの出入り口の脇の席に座る。チビタはなんだかわからない様子だが、絵本を小声で読んでやったりしてなんとかしばらくは時間がつぶせた。しばらくするとおば様とおじ様がいらっしゃる。げっそりとやつれたおじ様とおば様。喪服の中で体が泳ぐくらい。まず目が合ったのはあたしとおば様。思わず抱き合って号泣する。「ごめんね。こんなときにきてもらって。」あたしの体を気遣い、チビタをつれてきたことにもお礼を言ってくれる。こんなときに人のこと気遣わなくていいのに・・・ますます涙があふれる。母は前回ゆうくん夫婦を別れさせるために上京したときに同行されていてお会いしたおじ様のお姉さまと手を握って涙を流している。ひとしきり泣いたあと、会場の人に促され、それぞれ席につき告別式が始まる。僧侶の読経のなか焼香が始まる。集まった人数は50人足らずだったろうか。みな、悲しみをこらえきれない様子。こうやって集まったひっそりとした告別式なので、おそらく本当にごく親しい人たちだけだったのだろう。心臓のバイパス手術を何度も繰り返し、枯れ切ったおじ様の体から搾り出すような声。泣き過ぎて枯れてしまった声。喪主の挨拶も途中でおば様に代わりおじ様がゆうくんに宛てて今の気持ちを綴った手紙を読んだ。震える泣き声で読み上げるおば様と、横で必死に倒れまいと立っているのがやっとのおじ様。痛々しいなんて簡単な言葉じゃ言い表せない。生地獄にいるお二人には・・・その後お食事をいただくときにいろいろな人といろいろなお話をした。「母同士が非常に仲良くしていて、私にはゆうくんは親戚の子みたいな幼馴染なんですが・・」と話しかけ、最近の様子などを聞いた。高校時代の友人、飲み歩いていた友達、わざわざ九州から飛行機で告別式だけのために来てくれた友人も数名いた。みんな声をそろえて「やさしくていいやつでした。デリケートで。気遣いのあるヤツで、自分がつらくても口にしないようなやつでした」男の子もみんな泣いていた。目を真っ赤に泣き腫らした子ばかりでみんながそうやって悲しんでいることが、ゆうくんがいい子だったっていう証明になるって、改めて思った。その中に、W不倫と報道されている女性がいた。大柄で穏やかな感じの女性だった。この人だ、と直感的に思ったので声をかけてみる。やっぱり。警察で事情聴取があったりとかで、彼女も大変なようだ。彼女の証言が、犯人の嘘を裏付ける重要な証拠となる。「離婚してやり直したい。正月は一緒に九州の実家へ帰ろう。」ゆうくんは彼女にそう話したそうだ。嗚呼!すぐそこに幸せが見えてたのね?!もうちょっとで本当の幸せな生活ができるはずだったのね?!その希望を胸に離婚を切り出したらこうなったのね?!口論のあと、何を思って眠ったの?どんな夢を見ていたの?苦しみも痛みもなく、いい夢を見ていたことを願うわ。もう、二度と覚めない眠りになってしまったのだから。犯人の女は「離婚を切り出したけど相手にされなかった」などとほざいてるらしい。そんなわけない。こんな穏やかないい子とやり直そうとしていたのに離婚に応じないわけがない。応じなかったのは妻の方じゃないか!死人に口なし・・・・自分を優位に持っていこうとする妻の供述は弁護士の入れ知恵だ。11月に本気で離婚を申し出たゆうくん。応じなかった妻。そして12月、きっとしつこく離婚を迫ったであろうゆうくんを「殺すために離婚せずにいた妻」はその後実際にゆうくんを殺した。流れ出る血を吸い取るために土を購入し、バラバラにして遺体を乱暴に遺棄する。嫉妬に狂ったのだろう。最初のDVなんてきっかけにすぎない。それも報道されているほどのことがあったのかどうかも疑わしい。そこから暴力はなかったわけだし、きつい言葉は売り言葉に買い言葉。きっと、自分が離婚され、彼だけが新しい女性と幸せになるのが許せなかったに違いない。愛しさと憎しみは紙一重のところに存在する。隣り合わせの愛が憎しみに変わったとき、それは狂気となって襲い掛かる。最後におじ様とおば様に「負けないで!あたしたちはみんなゆうくんの味方だから。いい子だったのよ。間違いなくいい子だったのよ。世間でなに言われてもあたしたちは事実を知ってる。ゆうくんはホントにいい子だったよ。絶対にゆうくんのこと忘れないから。ずっと忘れないから。」それだけが精一杯の言葉だった。ありがとう、ありがとう、と涙ながらに繰り返すおじ様とおば様にあたしも涙が止まらなかった。記憶し続けること。大切な男を亡くしたあたしがたどり着いた答え。忘れないこと。覚えていること。思い出すこと。亡くなった人にしてあげられるのはこれだけ。最近流行ってる歌にもあるけれど、嘆き悲しむことを死者は望んではいない。楽しかった思い出を記憶しておくこと。大切な思い出として胸にしまっておくこと。そうやって人の心に存在し続けることが最大の供養であるとあたしは信じている。忘却されたとき、死者を覚えている人がすべて消えたとき本当の死を迎えるのではないかと感じる。存在していたことを証明するのは、もはや記憶のみ。忘れない。絶対に。そしてあたしは心に決めた。彼のことをきちんと人に話そう。友達に話そう。報道は間違っている。彼のために弁明しよう。彼はもう少しで素敵な女性と新たな人生をつかむところにきていたことを。親思いで友達思いでやさしかった彼のことを。勘当されてまで結婚した女と別れ、改めて両親と和解し新しい人生をやり直しておじ様とおば様を安心させてあげられる、その一歩手前まで来ていたことを。しかしそんな幸せを目前にしながらの悲劇・・・いまさらながら、悔やまれてならない。そして、残された彼女の今後を思うと、またやるせない思いがこみ上げ、どうしても復活できないまま沈没した1週間を過ごしていたのでした。・・・正直、本気の復活には時間がかかります。でもとりあえずパソコンに向かって、あたしなりの使命を果たすべく、この日記をしたためたわけでした。