カテゴリ:ぱんず(母)
学校へ入る前だったころの記憶が2つある。
一つは保育園で熱があるのもわからず、椅子から立てなくなり、保母さんに介抱されたこと。 もう1つは、家で両親が大喧嘩をして巻き込まれた記憶。 父は、横に寝っ転がって、大声で叫んでいた。 母は、怒鳴り散らし、私と弟に厚着をさせ 「今から死んでやる!!包丁を持ってきて!!」と私に言った。 私は恐怖で動けず、泣いていた。 母は死ぬことや、包丁で刺したらどうなるかとか、心臓を刺してとまくしたてていた。 そのやり取りが何回もあり、震えながら 「死にたくない!死にたくないよ~!!」と弟にしがみついていた。 助けてって言えなかった。 助けてくれる人がいなかったから。。 どれくらい経ったかわからないが、下に同居していた父方の祖父が止めに来てくれた。 そのおかげで殺されずにすんだ。 原因は何だったのかよくわからない。 しかもなぜ、私たちを道連れにしようとしたのか。。 死にたいなら一人で死ねばいいのに。。 自分が産んだ子供だから? 私はものではないのに。。 その喧嘩がおさまっても、両親からは謝罪の言葉はなかった。 その喧嘩のあと、私は両親を呼ばなくなり、そばにいかなくなった。 そばへ行ったら、殺されるかもしれないから。 ”お父さん、お母さん”という言葉も発しなかった。 守ってくれる、助けてくれるのが、”お父さん、お母さん”だとまわりを見て思っていたから。。 だから私の”お父さん、お母さん”ではないと思った。 そこから私は”かわいくない子”とよく言われるようになった。 斜めに人を見るようになったから。。 人間不信のきっかけである。 両親を両親として、認めることができなくなってしまった。 両親ともその喧嘩を覚えていないらしい。 覚えていても言いたくないだけかもしれないが。。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 ランキングに参加しております。 応援クリックしていただけると、嬉しいです゚(゚´Д`゚)゚ 携帯の方はこちらから応援クリックをお願い致します→にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月13日 22時44分31秒
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