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ぱんず家の日常

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2011年11月13日
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カテゴリ:ぱんず(母)
学校へ入る前だったころの記憶が2つある。

一つは保育園で熱があるのもわからず、椅子から立てなくなり、保母さんに介抱されたこと。

もう1つは、家で両親が大喧嘩をして巻き込まれた記憶。

父は、横に寝っ転がって、大声で叫んでいた。

母は、怒鳴り散らし、私と弟に厚着をさせ

「今から死んでやる!!包丁を持ってきて!!」と私に言った。

私は恐怖で動けず、泣いていた。

母は死ぬことや、包丁で刺したらどうなるかとか、心臓を刺してとまくしたてていた。

そのやり取りが何回もあり、震えながら

「死にたくない!死にたくないよ~!!」と弟にしがみついていた。

助けてって言えなかった。

助けてくれる人がいなかったから。。

どれくらい経ったかわからないが、下に同居していた父方の祖父が止めに来てくれた。

そのおかげで殺されずにすんだ。

原因は何だったのかよくわからない。

しかもなぜ、私たちを道連れにしようとしたのか。。

死にたいなら一人で死ねばいいのに。。

自分が産んだ子供だから?

私はものではないのに。。

その喧嘩がおさまっても、両親からは謝罪の言葉はなかった。

その喧嘩のあと、私は両親を呼ばなくなり、そばにいかなくなった。

そばへ行ったら、殺されるかもしれないから。

”お父さん、お母さん”という言葉も発しなかった。

守ってくれる、助けてくれるのが、”お父さん、お母さん”だとまわりを見て思っていたから。。

だから私の”お父さん、お母さん”ではないと思った。

そこから私は”かわいくない子”とよく言われるようになった。

斜めに人を見るようになったから。。

人間不信のきっかけである。

両親を両親として、認めることができなくなってしまった。

両親ともその喧嘩を覚えていないらしい。

覚えていても言いたくないだけかもしれないが。。





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最終更新日  2011年11月13日 22時44分31秒
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発達障がいとは。。

環境因子でおこるものではないし、性格でもない。
先天的な脳の機能障害、生まれつき中枢神経がうまく働かないことが原因。
環境により障害の程度が変化することはあり、適切なかかわりが重要となってくる。
発達障害を持つ子供には、発達の遅れ、偏り、歪みが見られますが、合併症がない限り、成長の遅れは基本的にないと考えていいでしょう。

注意欠陥多動性障害(ADHD)とは。。

自己評価が低いとよくいわれている。

年齢発達に不釣り合いな注意力散漫、衝動性、多動性を特徴とする行動の障害。
7歳前後で診断されることが多い。
ほかの障害が重なり合うことも少なくない。
ADHDの発現には先天的な要因が大きく関係している。
ADHDは先天的な前頭葉の機能に限局した発達障害。
虐待を受けた子供や、悪い環境下でADHDを生じることが少なくない。

広汎性発達障害の時期の特徴

乳幼児期 
人見知りしない。親がいなくても平気。集団での遊びが理解できない、孤立。他人の表情を読み取るのが苦手。

学童期 
他者との勝負や競争の意味が理解できない。学校内での集団行動がうまくできない。

思春期 
プライバシーの障害。羞恥心がない。

青年期
本音と建て前の使い分けができない。人の言葉を字義通りにしか解釈できない。状況の変化がのみこめない。

★思春期
からだと心が変化する時期
★プライバシー
自分のことを強く意識する

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