カテゴリ:ぱんず(母)
いじめにあった。
原因は今も覚えている。 父の身長が高かったため、住んでいたお風呂の浴槽の大きさが当時では大きくて、水道代を気にした父方の祖母がお風呂のお湯をあまり替えず、シャワーを使うとお風呂に怒鳴り込んでくる状況だった。 汚れてくると、バスクリンを入れて、ごまかす。 二世帯というものの、住んでいた二階にはトイレしかなかった。 就寝が早い祖父母が寝ている頭の上をとおり、お風呂へ入った。 そして「シャワーを使うな!!」と怒鳴られる日々。 アトピー持ちの私の皮膚はカサカサ。そんな状態ではふけも出るだろう。 そして学校で「汚い。」との女の子の一言からバイ菌扱いされた。 クラスではなく、学年から避けられた。 話す人は誰もいなくて、寄ってくる人もいない。 学校でも、家でも孤独だった。 だが学校へ行かなければ、鬼のような顔をした母にハタキで叩かれる。 その恐怖から、逃れられなかった。 人と安心して話すことができる機会がなかったため、授業中に当てられたり、発表の機会があると、極度の緊張と赤面をおこしていた。 そして瓶底めがね。 いじめられる要素は、もっていた。 いつも屋上に逃げていた。 下を見下ろし、ここから飛び降りれば楽になるのに。。と下ばかり見ていた。 学校の屋上から見る高さは、飛ぶ勇気を与えてはくれなかった。 しばらくし、どうでもよくなることが起きた。 両親が離婚するかもしれないと察知したとき。。 離婚届けを発見してしまったのだった。 屋上に続く階段で、離婚届けを眺めながら泣いた。 私がこういう状況にいるのにも気づかずに、自分たちのことしか見えていない両親に絶望した。 環境の変化についていけない自分は、一度離婚しないでとお願いをしたような気がする。 しばらくすると、私をいじめてきた子は、次々と転校していき、いなくなったのだった。 転校する前に仕返しはしておいた。 たくましくなったのか、痛みに鈍感になったのかはわからないが。。 いじめた子達は、なぜ私にやられるのかわからなかったみたいだ。 今でも私のことをいじめた子達と、からかいの表情で見ていた子達の顔を覚えている。 あの意地悪な表情を忘れることができない。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 ランキングに参加しております。 応援クリックしていただけると、嬉しいです゚(゚´Д`゚)゚ 携帯の方はこちらから応援クリックをお願い致します→にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月25日 22時45分18秒
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