カテゴリ:ぱんず(母)
今日も総会でした。 私は、受付だったのですが、理事の退任挨拶の時から 使い物にならなくなりました。。 大好きな方が遠くへ行ってしまうからです。 いまから、12年くらい前に子育てサロンでその方と出会いました。 当時、長ぱんずちゃんは1歳半くらい。 外へ出ると、あっという間にいなくなってしまい 泣きもせず、ひたすら自分の興味のおもむくままにかっとんでいました。 そんなぱんずちゃんを追いかけていた日々。 前夫から毎日「死ね!殺してやる!!」と言われてました。 4度目の結婚に失敗した、自分の母も同居していましたが 助けてはくれませんでした。 子育てサロンは室内で”先生”がいると聞き 行ってみるとぱんずちゃんが室内から出ずにいることにホッとして だれとも話す気にならず、だいたいぼーっとしていました。 しかし、ぱんずちゃんは気に入らない事があると 頭突きをして相手を押し倒し、おもちゃで叩いていました。 先生がいるので、私はそれをただ見ていました。 そして、何回か通ううちに家庭内は壊れていき ”いつ殺されるんだろう”とまで思っていたとき ようやく離婚することを考え始めていたのですが 母には「あんたが我慢すれば私はここに住んでられるんだから我慢しな。」 とか言われて、さらに離婚した私の父にも電話をして 「あの子(私)の味方をするな!!」といい 前夫の母に「一緒に孫(私の娘)を引き取り育てよう。」ともちかける始末・・ なぜこの人の元に生まれてきたのだろうと 幼少期のころから思っていたことがさらに強くなりました。 絶縁すること決めて、明日離婚届けを出そうとしていたときに 子育てサロンの個別相談に誘われたのでした。 うちだけだということに驚きつつ(個別相談があるとは知らなかったのです) 「サロンに来ると違う所を見ているような気がして・・」と言われて 初めて人に話していいのだと思い 「明日離婚届けを出そうとしてるんです。」と 今までの経緯を話した時 「そうだったの。大変だったわね。よく決断したね。」と 受け入れてもらってからそれまで自分で決断と判断をしないといけない環境に 自分がいた事は他の人にはない環境だったと知りました。 その後も自分で決めてから、その先生に話しに行きました。 節目節目に会うたびに、穏やかな温かい声で 「そうだったの。よく頑張ってるわね。」と背中をさすってくれているような そーっと押してもらっているような気持ちになりました。 先生に恩返しの気持ちもあり、この団体で活動することを決めて 一年足らずで会えなくなってしまうなんて・・という思いと 先生の声が聞こえなくなってしまうなんてとさまざま思いだし 一人総会で号泣・・ いつも癒されます。 経験豊富なお母さんたちから学ぶことはとても多く 温かい言葉をかけてもらって、励まされています。 この人たちと活動していたからなんだなぁと強く感じました。 ごたごたしましたが今では「孫をみれるときはみるから。」というようになりました。 この世に産んでくれたことで今の自分がいて たくさんの方と関われることで生きてる実感を今感じる事ができています。 その人たちと時間を共にすることで自分も成長している気がします。 私も聞く事ができるようになりました。 以前よりは(;一_一) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月31日 22時33分56秒
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