カテゴリ:釣りと音楽
音楽家、アングラー、昔の話から来年の目標
ガキだったころ、僕が田舎から上京したのは、東京オリンピックが開催された(1964年)、その前年の1963年(昭和38年)である。希望に燃えた、大学生活だが、少ない仕送りから生活に窮し、安易にアルバイトの出来たキャバレーのバンドが、その後の人生を決めたと言って良い。 川崎や新小岩辺り、場末のキャバレーでのアルバイトが、当時大学の講師だった先生の紹介で、日本でも有数なバンド「ジョージ川口とオールスターズ」のオーデションを受け、そのまま入団する事になったのが、僕のプロミュージシャンとしての切っ掛けである。
勿論、刺激の多いジャズミュージシャンの生活に埋没すると、その後の大学生活など、とうに挫折してしまう。さらに、田舎から出て来たばかりの若造である。等の仕事は、あのステージとホールの華やかで、着飾った女性たちが踊り舞うキャバレーやダンスホールでの仕事が中心である。それは甘い誘惑に満ちた華やかな世界だった。
しかし、それでも向上心の強い、生意気な若造君であるから、甘い誘惑に負けてしまいがちだが、それなりの勉強や努力もしただろうか。幸いに音大では、作曲専攻であった為に、ビッグバンドでも、そのアレンジ、編曲の能力には多少の評価をされたろうか。その後、在籍する、日本の有名バンドではトロンボーン奏者としてだけではなく、作・編曲家としても重宝がられた気もする。ただ、音楽家気質の中でも、良くない部分も沢山持ち合わせていて、その最たるものは、女性問題(そんなに、しょっちゅうは無い)、更には金銭感覚の無さだ。
生来のぬるま湯気質である。努力はするが、突き詰める程のこんの良さは無い。何事にも中途半端。又その中途半端さが自分には合っているようで居心地が良い。
まあ、そこから一念発起ではないが、島に住んで、真面目に?釣りに邁進する。 ただ、音楽の話になるが、島に来て中断してたものが、少々、見つめ直すようになる。それは、若造の時代に、さんざん培ってきた音楽、一流の音楽家たちと研鑽しながら挫折を繰り返した音楽、さらに、喜び、希望、怒り、悲しみ、後悔、挫折、それら繰り返して来た音楽の再開だった。 ミュージシャン生活を30年も中断させ、島に住んで70歳をとうに超えているのだがは島の音楽仲間たちと知り合い、「これも、頑張ってみるか!」みたいな気持ちだ。 東京の有数なミュージシャンと一緒にもライブもやっている。素晴らしい音楽も出来る。楽しい。しかし、今の僕の目指している音楽は、上手いプレーヤーと演奏する事以上に、僕自身が居心地の良い音楽なのかも知れない。 釣りもしかり。ぬるま湯で結構。居心地の良い所で、多少は中途半端でも、楽しく釣りが出来れば、それで良いような気がする。
来年の目標。 好きな仲間と、最高の楽しい釣り、好きな仲間と最高な楽しい音楽をする事。 心を一つにして頑張っていけば、必ずや、日本で一番に、楽しい釣りの仲間、楽しい音楽の仲間になれる筈だ。 2018年、73歳になるパパは、それを目標にします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.12.23 09:42:50
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