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パパらしくない、なんか難しい話で申し訳ない。
コロナはウィルスであって細菌とは違う。ただ疫病と考えると重なる部分も多いだろうか?。私が昔、読んだ本にカミユの「ペスト」がある。
中身は、中世ヨーロッパで大流行したペスト、舞台は当時フランス領のアルジェリア。町で疫病に感染したらしい死者が出始め、ある医師がペストであることに気づく。そこから町はパニックになり、最初は楽観的だった町当局も対応に追われパニックになる。噂から暴動が起き、町は外部と完全に遮断され、逃げ場のない一般市民は精神状態が困憊、大混乱に陥る。神父は「疫病は人々の罪、神の祟り、ただ教会で祈ること」と説教する。
医師は、その友人たちと患者達の治療を続ける。疫病は収束するが、結局は対立した神父も、共に戦った医師も死に、妻も失う。戦争や疫病は、如何に不条理な世界を創り出すか、そんな事を描いた作品だろうか。
ペストがいわゆるパンデミックを起こしたのと言われるのは歴史上では3回だろうか?、しかしそれ以前の太古の時代から疫病が蔓延、常に戦争との関わりも多く、その大流行の度に世界史を作り変えて来た。 紀元前ではアテイナ(古代ギリシャのペロポネソス戦争)でのギリシャを襲った疫病(ペストではない説も)。紀元170年頃、ローマ帝国時代では、当時の皇帝である「アントニヌスの疫病」と呼ばれ大流行、500万人以上死亡したと言われる。541年には東ローマ帝国で大流行、当時の皇帝は西ローマ帝国との統一を目論んで起こした「ゴート戦争」の挫折は疫病が因と云う説もある。
そして「キプリアヌスの疫病」と呼ばれた感染症が大流行し、ローマだけで1日に推定5000人がこの疫病のために死亡。当時のローマ皇帝も犠牲になったほか、エジプトのアレクサンドリアでは人口の3分の2が死滅した。
ローマ帝国は、8世紀、14世紀とペスト(疫病)に見舞われているが、14世紀の大流行では3000万人とも5000万人ともいわれ、戦では攻勢に出ていた帝国だが、この疫病によって壊滅の打撃を受けた。
ルネッサンスから18世紀の大航海時代にかけては、売春の盛行につれ梅毒や壊血病がヨーロッパ全土に広まる。それらも、アフリカ、南太平洋、中南米の植民地化による黒人奴隷などの移動とも相まって世界中に蔓延する。
梅毒は、フランス人はナポリ病、イタリア人はフランス病と互いに言い合う浅ましさ。ナポレオンのロシア遠征では赤痢や発疹チフスはフランス軍将兵のおよそ3分の2を奪い、ナポレオン衰退の大きな原因となる。またナイチンゲールが活躍したクリミア戦争、さらに第一次世界大戦後も猛威を振るい、ロシア革命でもレーニンが「社会主義が勝つか、シラミが勝つか」と言わせた。さらに第二次世界大戦でも、マラリアが南方戦争での相手軍以上の打撃になったという。
まあ、以上は歴史家でもない私の能書きだ。
ただ、こんな疫病も多くのすぐれた医学者、その研究のおかげで収まりを見せる事もある。例えば、赤痢や黄熱病に生涯を捧げた野口英世。また、ペストの発見者の一人でもある北里柴三郎、日本にも多くのすぐれた医学者がいた。それでも、次々に新しい、細菌、ウイルスが生まれ、再び同じことを繰り返えす。
そして、このウィルス禍も疫病の一つとして考えると、如何に大変な戦いであり、その中で、デマ、噂、言いがかり、差別が渦巻く。疫病は、疑心を生み、人を疑い、人種を疑い、他国を疑い、国同士で罵り合う。宗教は隆盛するが、その差別も起こる。そして、戦争を終わらせもするが、時には大きな戦争の火種も生む。
そして今、世界の現状は間違いない無く、そんな状態ではないだろうか。
今回のコロナ騒動、蔓延する疫病は、個人主義的な疑心暗鬼を増幅させ、それは国を衰退させ、滅亡に追い込む。そして、一番の被害者は弱者だ。その事を私たちは、もっともっと考えるべきだろう。
過去の、未曽有と言われる大きな災害。その事で私たちは学習し、それに備える知識を持ち、国も対策をしてきただろうか。しかし、それ等に比べると、国を亡ぼすほどの大きな疫病に対しては、これだけの苦難な歴史を繰り返しながら、あまりにも無知ではなかったか。
このブログからの、デマになるような拡散は、くれぐれもお断りします。あくまでも個人的な思いであって、自分自身への反省なのです。
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最終更新日
2020.03.15 16:01:35
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