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テーマ:癌(3550)
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父が入院したのが3月の終わり。
あれから3カ月・・・ もっと昔のことのように感じる。 帯状疱疹で入院し、糖尿病もあることがわかっていたが、その数週間後にもうひとつ病気が見つかっていた。 肺に影がうつっているということだったが、膿がたまっていると医師から言われていた。 抗生物質を点滴しても、その影、一向に小さくならない。 詳しく検査してみたところ肺ガンと判明した。 77年間、内科にかかることもなく健康診断をうけたことのない父だった。 何もないことの方が不思議なくらいには思っていた。 その宣告はショックでもあったが、やはりそうかという気持ちの方が大きかった。 父77歳。 体重42キロ。 ここ数年で痩せた。 病院で診てもらったら?! などと言おうものなら鬼のように怒った。 あんな症状だとそうとう昔から自覚症状はあったろうに・・・・ 仙人のような暮らしぶりで頑固者。 老人会などのつきあいはいっさいしない。 毎日、田や山に出掛けていた。 楽しみはお酒とたばこ。 きっと病院に行くのが恐かったのだろう・・・ 大好きなたばこもお酒も奪われるのがいやだったと思う。 1ヶ月間の入院で父は無表情になった。 寝ておきて食事だけを楽しみにしていた。 糖尿病がひどいのでお腹がすくらしい。 癌と診断されて、主治医から手術の話をもちかけられた。 悪いものがあれば取り去るのは外科医には当然のこと。 しかし、あの体力のない老人に耐えられるのか?! その疑問をなげかけると 「ギリギリ・・・だと思います。」 父は私と一緒に癌宣告を受けた。 父は手術を受けたくないと言った。 悲しいかな、父、癌宣告されたはずだが忘れてしまっている。 もう脳まで転移しているんだろうか・・・ 薬で治してと懇願する父。 そうだよね・・・ 結局、私は手術しない選択をした。 毎日、退院したいと言っていた父。 「そうだね・・・帰ろうか?!」 主治医は信じられないという顔だった。 それでも家族で決めたことですから覚悟して退院するようにと言われた。 家に帰れば昔の父に戻るのではないだろうか・・・ そんな期待が私の中にあった。 ちっともじっとしていなかった父。 きっとまた家の中をいじったり(元大工)、畑に行くかも・・・ 結局病院の生活とかわらない。 家に帰って大好きな晩酌ができるのを楽しみにしていたらしい。 父にとってのエネルギーの源を奪った私。 車に乗ることも禁止した。 もうすでに何カ所がぶつけてあった。 きっと判断能力も体力もないはず・・・・ 数ヶ月前に運転していた頃、きっと危ない状況だったのだろうと思うと背筋が寒くなった。 思っていた以上に父は具合がわるかったのだ。 でもやりたいことをするために無理をしていたんだろうなぁ。 田んぼ仕事が好きな父ではあるが車がないことにはできない。 トイレにいくのがやっとの父にはもう無理だとわかった。 手術を受けさせなかった私の選択はまちがいだったのだろうかと思うこともある。 入院すると告げた時に 「死んだ方がましだ。」 そう言った父の言葉が頭をよぎる。 退院した頃は農業をする気持ちだけあった。 でも体力が追いつかない。 今では何の執着もなくなった。 私がかつて見たことのない父の姿。 やせ細って、かわいくなったものである。 あんなに憎かった人が、こんなにかわいくなるなんて・・・ 腹がたつくらいの元気な時もあった。 そこにいる人は同じ人なのかと思う。 いっそ憎んだままいられたほうが良かったとさえ思える。 「いつも、ありがとう・・・」 やっと声を出す父。 つらいのに私に気をつかっているのがわかる。 どんなにつらくても病院に行けば、看護師さんやお医者さんに 「ありがとうございました。」 とお辞儀を深々とする。 本来、そんな人だったのだと思う。 父の恵まれなかった家庭環境から、がんばって生きることには頑固という鎧をみにつけなければならなかったのだろう・・・ 母子家庭で苦労した父。 7歳のときに一家のオヤジとなったといつも言っていた。 もうこれ以上つらい思いをして欲しくない。。。 あの時に病院にいたら、もう家には帰れないような気がしていた私。 あのまま父が逝ってしまそうに思った。 日に日にぼけていったし・・・ 今の状態で父に何か楽しみがあるのだろうか・・・ そう思うとやりきれなくなる。 でも決めたことに後悔はしたくないので、それで良かったんだと無理に自分を納得させていた。 数日前、小6の長男が話しかけてきた。 「お母さん、あのね、誰と結婚してても今とかわらない生活だって知ってる?」 「どういうこと?」 「だから、お父さんと結婚していなくても今と同じような生活だって事。」 「ふーん・・・」 「あのさあ、例えば大阪に行こうとするじゃない?その時には電車で行くか、飛行機で行くか、いろんな方法があるでしょ? でも最終的には大阪にいるってことだよ。」 ほう・・・ なるほど。 「そうだね。時間に差はできるよね?」 そう言いながらなんだか、気がふっと軽くなった。 そうだよね・・・ 結果はかわらないってことかもね・・・ 「誰が言ってたの、そんなこと?」と私。 「ドラえもんだよ。」 そ・・・そうか・・・ でも何だか救われたなぁ。 勝手に私が良いようにとっているだけかもしれないけど。 そうだよね・・・ もう私が父にできることをするしかない。 それが娘である私のつとめだ。 もうひきかえせない。 父にも感謝している。 私をこの世に送り出してくれてありがとうと思う。 そして息子達にも私を選んで生まれてくれてありがとうと思う。 こんな未熟な母の元によくきてくれたものだと思う。 そう思える自分になれて良かった。 これでよかったんだと思おう。 もう迷いはなくなった。 父を見送ることが私のつとめだ。 癌宣告後の時間は私にとって親子として最高の時間。 神様から与えられた貴重な時間。 できるだけの親孝行をしたいと思うのである。 私は幸せだと思う。 父にも幸せな人生だったと言ってもらいたい。 恨み後も、痛いともつらいとも言わない父。 そんな父だから私は長く苦しむことはないと思っている。 がんばれとも言わないよ。 もう見守るだけ・・・ ありがとう。 今はそんな気持ちでいっぱいな毎日である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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