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テーマ:癌(3550)
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肺ガンで現在寝たり起きたりの実家の父。
ご飯を食べる以外はほとんど寝ている。 今まで母のパイプベッドをつかって寝ていたが少し低いこともあって 起きるのもつらそうになった。 レンタルの電動ベッドを手配してもらって少し快適になった。 おかげさまで癌による痛みはまだない。 少し歩くと疲れるのは仕方ない。 肺が片方しかないのと同じようなものらしいから。 そんな父ではあるがわが子達をつれていくと喜ぶ。 遊んでいる部屋まで見に来る。 今まではチラッと見て、自分の世界にすぐ入っていく父であった。 やれ、田んぼだ、山だと・・・・ 「ゆっくりしていけよ~。」 そう言って去っていっていた父。 先週の土曜日、こども達は将棋盤を持っていった。 父がディサービスで将棋をしていたことを小耳にはさんだので・・・ 「えっ!爺ちゃん、将棋できるの?」 よく兄弟で将棋をするが、すぐにけんかになる。 あのふたりの将棋のレベルはたいしたことはないと思う。 少しぼけてきている爺さんと勝負になるんだろうか・・・ 父は将棋盤を持ってきたと言うとさっそく駒を並べ始めた。 座っているその姿は元気だった頃の父のようだった。 次男に対して父は容赦しなかったようで2回して2回とも父の勝ち! いつも負けて暴れる次男だが暴れない。 ちょっと爺ちゃんを尊敬したみたいだ。 思えば病気と判明してから父の楽しみは孫が来ることのみ。 元気だった頃にはいっしょにボールで遊んだこともないのにね。 今は遊ぼうとするんのだが・・・ 「爺ちゃん、ちょっと疲れた・・・」 そういってベッドに戻る。 もともとそういう遊びなどしたことがないのだから、今上手にできるわけもない。 ただ孫とふれあいがあるのが嬉しいようだ。 こどもに近くなったんだよねぇ・・ 「すばらしい孫を生んでくれた。」 父はいつもそう言う。 爺バカだなぁ~ 昔からそう思っていた。 でも、父のように思うことができたなら我がこども達も違っていたか?! 褒めて育てるというのは私には出来なかった。 我が母はそういう人であった。 「我が子を褒めるなんて親ばかもいいところだ!」 そう聞かされて育った私。 でもでも・・・ やっぱり出来が良くなかった私に父はいつも褒めてくれた。 なんでもないことでも褒めてくれた。 何十年たってもおぼえているってことは私も嬉しかったんだと思う。 照れくさくて 「そんなことないよ~。」 そう言っていたけど・・・ 父は褒めようとして褒めているのではなく、本当に心の底からそう言っているのだと思う。 孫ができてうれしいという気持ち。 どんな子だって父には素晴らしく思える。 次男のいたずらを伝えてもニコニコ笑っている。 その存在を愛する者にとって別段問題ではないらしい。 見習うところなのかもしれない。 もし父が元気なまま、ポックリ逝ってしまっていたなら 私はこんなにも父のことを愛おしいと思わなかっただろう。 いろんなことを考える時間をくれた父。 流れのままに生きてきた父。 そう生きたいと願っても実際そうできる人は少ない。 何があってもなんとかなると日々をおくってきた。 がんばらない生き方は嫌いだ! そう言いきった私の姉。 父のような生き方は許せないらしい。 だから姉は父が病に倒れても実家に遊びにくることもない。 それを責めようとは思わない。 ただ、姉のそういう生き方は 自分を苦しめる生き方なのではないかと思ってしまう。 がんばって評価される生き方に魅力を感じる人が多い。 姉はまさにそう。 寂しい人だと感じることが多い。 父のように騒ぎ立てることなく私も生きられたらと思う。 このところ、こどものようになってしまった父。 ディサービスがあまり好きではないようだ。 もともと社交的なことが好きじゃないからねぇ・・・ 「もう迎えにこなくていいって電話しといて!」 そう言いながらも職員さんが迎えに来ると・・・ 「こんな遠いところまで迎えにきてくれて、申し訳ない。ありがとうございます。」 あはは・・・ まだ気遣いができる父。 やっぱりかわいいと思う。 どこか憎めない。 今日もディサービスの日。 無事に行ってくれるだろうか・・・・ がんばるのが嫌いな父には大仕事かもしれない。 母に少しだけ自由な時間も与えたいので 少し我慢してもらいたい。 こどもの頃、学校に行こうとしたらお腹が痛くなった自分。 父も今、そんな感じらしい。 親子だねぇ・・・(≧∇≦) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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