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姉の実家訪問は奇跡のようだった。
あれが最後になっても私にはこれで思い残すことはない。 そんな気持ちでいた。 子どもの頃からの不満を心の中に抱いていた姉。 歳を重ねる毎に不満がふくれあがり・・・ 大爆発!! 自分でも収拾がつかなかったと思う。 顔を見るのもいや!! 親と思いたくもない! どんだけ、つらい目にあっちゃってたわけ・・・?! 姉の立場で考えてみる。 一応、歩み寄ってくれたわけだから・・・ 妹とは差別され、長女として厳しく育てられた。 我慢を強いられ、自分の行きたい道は両親によってすべて却下された。 結果的には、妹を跡取りにするために自分は家を追い出された。 自分は本当の家族ではない。 嫁ぎ先でも夫は実の母の味方である。 子どもは思うように育ってくれない。反抗期である。 妹はおそばせながら婿をとった。 妹の子と私の子ではかわいがり方がちがう。。。 やっぱり妹のほうがかわいいんだ。 自分は他人の家で我慢している。 なのに妹は、のほほんと自由気ままに暮らしている。 何で、自分ばかりこんなつらい目にあわなくてはないらないのか!! そんな感じ?! いや・・・ もっと深いのかもしれない。 私が思っていた以上に姉の心は歪んでいたに違いない。 こちら側の意見としては9歳も違えば、親も丸くなってからの次女の誕生。 孫のような感じかもね。 姉が親の反対をおしきって短大に進学したことで、お婿さん候補が(親が勝手に望んでいた) 「自分より学歴があるといや・・・」 それを理由に断る。 それが本当の理由ではないと思うが、親はそれを鵜呑みにしてしまった。 相手の親がうちなどと結婚することは 問題外!と判断したのかもしれない。 相手方にすれば何の魅力もない話しであろう。 お馬鹿な妹のほうが跡取りとしてはふさわしい?! ある日突然 私は跡取り娘となった。 私だって迷惑なはなしであった。 生まれてからずっと 「お前はいつかお嫁にいくんだよ。」 そう言われて育てられた。 高校進学だって勝手に親と先生が結託してきめてしまった。 普通科は進学する可能性が高いからと言って勝手に商業科に。 私もそこで従ってしまったから、ここで文句を言ってもはじまらないけど。 姉は私が中1の時に親の決めた家に嫁いだ。 家の中ではずっと他人と思っていた姉。 お嫁に行ってかわいがられていたようで、しばらくは居心地がよかったようだ。 実家の親の不甲斐なさに肩身の狭いことはあったという。 義父はかわいがってはくれたが、厳しい人で腹にもつことができず 姉はそこでも我慢していたのだと思う。 夫だけが頼り。 最初は味方だったけど、義父がなくなってすっかり母親につくようになった。 ちょうど、そんな時私がのほほんと海外暮らし。 帰ってきたら親は小さい孫にメロメロ。 「お~跡継ぎ、跡継ぎ。」 自分に厳しかった父のその姿は昔の父とはまるで別人だ。 なんで私ばっかり!!! で、ドッカーン!! 初めての内孫だしね・・・ そもそも外孫、全然なついてくれなかったから親もショックだったんだけど 姉にはわかっていないと思う。 70近くなってできた内孫にメロメロになっても仕方ないと思う。 現在のその姿は全部自分が犠牲になったその上に成り立っている。 なのに誰も私に感謝している人なんていない。 こいつら、みんな自分勝手だ!! そういう気持ちだったんだろうなぁ・・・ 姉は我慢と孤独の中で壊れていった。 そんな状態から実家に顔を出してくれた。 あの時、私の気持ちも軽くなった。 自分ではそれほど気にしてはいないつもりだったが・・・ 姉の訪問の出来事を聞いて、すっと気持ちが軽くなった。 思っていた以上に私も気にしていたんだよなぁ・・・ 大げんかして絶交したのが6年前。 母の入院がきっかけで私とのやりとりが復活したのが3年前。 その後は会話にも気をつかう。 もちろん、親の話はタブー。 親の悪口になれば私もその一味となるわけだ。 そんな状態が私にとって心地よいものではなかった。 また姉を怒らせるのではないかと気をつかった。 そして今年の3月に父が入院。 それからプッツリ音信不通だった。 1回の訪問でも奇跡だと思っていた。 でも、その次の週も姉は自分の娘と30分だけ実家に行ってくれたらしい。 「どうしても週末はバイトが休めない。 実家には夕方に行く。」 そうメールしたらご飯をもって行ってくれたらしい。 「気持ちが悪い・・・」と母が言う。 母はものすごく罵倒されていたからねぇ・・・ その後、姉と電話で話す機会があった。 「爺さん、手が痛いって言ってたからねぇ。」 「婆さんは嫁にいかなくてもいい!なんて○○(姪っ子)に言うんだよねぇ。」 などと普通に話していた。 こんなに人は変われるのか?! 別人。 やっぱり憎む相手が弱ったその姿をみて憎しみも半減したんだろうか・・・ 憐れんだのかもしれない。 どんなに私がその日を望んでいたか・・・ 今はありがたい気持ちでいっぱいである。 もしかしたら姉の実家訪問はこれで途絶えるかもしれない。 それはそれでいい。 それによって姉の心が軽くなっていれば何よりも嬉しく思う。 人を恨んではいけない。 そんな状態では絶体に幸せはこないと思う。 親を許すことによって、きっと姉の心は救われていくのだと信じている。 最近の父は暑いながらも元気でいる。 姉から・・・ 孫達から・・・ 父はエネルギーをもらっているのだと思う。 嬉しいと思う気持ちが父を元気にさせてくれた。 この夏は忘れられない夏になった。 バラバラだった家族が ひとつになろうとしている。 失ってわかることもある。 父の健康が犠牲だったが、それによって得たものは大きかった。 父よ、ありがとう。 病気に感謝。 人生、捨てたもんじゃないね・・・ そう思えるようになった自分になれたことも嬉しい。 心の持ちようだね。 ハタから見れば何もかわってはいないけど・・・ 幸せは自分の中にある。 誰だって幸せになれる。 そう思いたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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