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テーマ:たわごと(26889)
カテゴリ:気づき
図書館で借りて読んだ本である。 先日、私に裏切られてぶち切れた母。 あれから2回ほど実家には行っている。 1回目は雪の降った日であった。 買い物もままならぬであろう・・・ 日曜日だったので子ども達を連れて行った。 「もう、子どももつれてくるなっ!!」 前回の時、ものすごい勢いだった。 普通の人間ならあれだけ言えば、本当に顔をあわすことはできまい。 私、勘当されちゃったか?!そんな感じ。 考えてみれば、お通夜にさえ自分で行けない立場の人がどうして誰の手も借りずに生活していけるというのか・・・・ もっとも母の場合は周りに依存しすぎであると思う。 「できない~。」 そう言ってやりもしないことにも少々苛立ちを感じていた。 だが、できもしないことに 「お前なんかをアテにしないっ!!」 そう言い切るところが浅はかな人。 ただ、その時の感情で口からでまかせである。 その母について、この前電話で姉としみじみ話した。 してあげたと思うと腹がたつ。 見返りは期待しない。 今、自分がしないと後悔することだけをする。 そういう結果にたどり着いた。 姉がどうして、何年間も実家に出入りしなかったか・・・ 当時、姉は私ともケンカをしていたので私は母からの情報しか聞いていなかった。 「お前なんか、親でもない!! 何も親らしいこともしないくせに~!!」 そう罵倒して帰っていったことがあったという。 私はその部分しか聞いていなかった。 母のあの性格ならば、カチンとくることはある。 だが、そこまで怒り狂って何で姉は怒るのだろう。。。 私は何年もかかって、ようやくあきらめた(つもりでいた)。 しかし姉の電話によると、姉が怒るのも仕方ない事実があった。 姉は結婚してからもずっと家にお金をもっていっていたのらしい。 嫁に行った年はボーナス全額。 その後も母の日にスーツを買ってあげたり、現金をあげたり。。。 そして私が結婚するときにも確か、私に着物を買ってくれた。 百万包んでもらった記憶もあった。 そうなのだ・・・ 姉は親以上に私にしてくれたのである。 それなのに母は、それをありがたいとも思っていない。 あたりまえだと思っているように姉には見えたらしい。 そして姉はキレた。 そうか・・・ 普段からずっと姉は親孝行していたのだ。 何十年にもわたって。 母はしてもらったことは言わない。 借りた本は子どもと図書館に行った時にふと手にしたモノだった。 5歳児の大人は、子どもにさえ好かれたい。 5歳児の大人は、わがままでナルシストで自分にしか関心がない。 人を愛することが出来ない。 しかし、とにかく愛されたい。 それなのに、そのまったく逆の立派な社会人を無理に無理に重ねて演じている。 生きるのが辛いのは当たり前である。 人が幸せを感じるのは、求めるのが分かっている時でもある。 それなのに5歳児の大人は、自分が何を求めているのかわかっていない。 「あの人は幸せだ、なんで私だけが・・・」 が5歳児の大人である。 「あの人は幸せだ、私も幸せになろう」 が心理的に健康な大人である。 まさに・・・・ ドンピシャリだ。 私も姉も母なる愛情を受けられなかった。 本当に普通に生活することが辛いときがあった。 何をやってもうまくいかない。 そうもがいていた時があった。 そして、それを親のせいにしていた。 あんな育て方をしたから私は歪んでしまったと・・・ まず、自分が5歳児の大人だと気がつくことで変わることはできる。 何のために生まれてきたか・・・ 小さい頃からずっと考えていた。 その答えが最近になって分かったような気がした。 父は完全に許した。 母のことも許していたと思っていた。 だが、この間、父の介護でぶち切れた母をみて、どこかで冷めている私がいた。 やっぱり、この人には・・・・ そういうがっかりした感情。 そして、この本を読んだ。 そこで気がついた。 そうか! 私が期待するからいけないのだ! 見返りを期待してもいけないのだ。 だって敵は5歳児だもの。 ひとりで生活するだけでもつらいのに、その上、人の看病だなんて・・・ ご飯を食べさせるだけでもえらい?! スーッと軽くなった。 そう思った瞬間・・・・ 背中にあった痛みが消えた。 10日前ぐらいから原因が分からなかった。 もしかして、これだったのか・・・・?! 私はやっぱり心の底から母を許せていなかったのだ。 あきらめに近い気持ちはあったのだが・・・・ もう母をかえようなんて思わない。 変わらない母を眺めて自分がそれを受け入れるだけなのだ。 数日前に私を罵倒した母だったが、孫にまた雑誌を買ってきていた。 本当に私のお金をアテにしているわけでもない。 実家の鍵を忘れて行ったので玄関先で追い返されるかと思いきや・・・ 「おお~ きたのか・・・」 そう言って孫に入るように促す。 こういう人だとずっと分かってはいた。 いちいち私も動じなくなりそうだ。 母には求めない。 私はなんとかやっていけそうな気がする。 ただ、感じたのは姉の心の闇の部分。 この人こそ、母の愛が欲しかったように思う。 最後まで母にお金をあげたり服を買って・・・・ 姉の切ない思いが伝わってくる。 「思いっきり、情緒的に不安定だよ・・・」 わかる。 私もそうだった。 でも私には母親代わりのような存在の姉(9歳違い)がいてくれたことが大きかった。 このことには感謝しないといけない。 姉には誰もいなかった。 この人こそ、誰にも甘えられず、まさに母のような部分が垣間見れる。 それも自分で分かっている。 自分が母親と似ていると自覚した。 今も心に穴が開いているような気がすると言う。 そこは私がどうかして埋めてあげたいと思う。ヒーリングくらいしかないけど。 あげたい、っていう言い方もおかしいが・・・・ 「普通の親の元に生まれたかったよね・・・」 よく2人で話したことがあった。 普通というのも微妙なところだが。 尊敬できる親が欲しかった。 甘えさせてくれる親が欲しかった。 安心感が欲しかった。 そう言ってしまうと、また5歳児の大人になってしまう。 気がついただけでも良しとする。 私が父に対してかわいいと思う気持ちは赤子に対するモノと同じかもしれない。 いてくれるだけで嬉しい。 笑ってくれるだけで嬉しい。 寝たきりの父に何かをどうして欲しいなんて思わないもの。 その点、母は動ける。 その分、期待してたのだ。 普通に生きることが難しい人に父の介護はさぞかし重いことであろう。 そう思うと冷静に眺められる自分がいる。 それで、どうにかしなきゃと思えば自分が動けばいいのだ。 自分ができないなら、できないでいる母を許し、 「がんばってるね~(5歳児なのに)」 とでも言ってほめてやるのがいいのだと思う。 母も子どもにかえすのがいい。 本当に子どもだと思っていたが、ズバリ納得させられる本であった。 買っちゃおうかな~って思うくらい。 ほんと、心穏やかになれちゃったって気がする。 すっきりした。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月10日 10時01分56秒
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