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カテゴリ:気づき
人生は楽しむためにある。
生きにくいと感じながらもネガティブな感情を出さないように 最近までそう言い聞かせていた。 でも、私が思う楽しむというのは良いこと、もしくは良いこととしようとすることだった。 肺ガンで家に療養している父。 母が勝手にキレて私をさけるようになって、もう1ヶ月くらいたつ。 父を見舞う私にたいして無視状態であった。 私は母の愚痴を聞かなくても良いので気楽ではある。 が、父がどんな介護をされているのか知るのは恐い気もする!Σ( ̄□ ̄汗…) 言葉の暴力でかなり傷つくこともある。 本人は気がついていない。 まあ、自分中心でしか物事を考えられない人だから仕方ない。 父はおかげさまで足腰は弱ってきたがトイレにもなんとか通っている。 認知症もあるのだが、ほんとに認知症なのかと疑ってしまうくらい会話も普通にしている。 「あれは寂しいやつだ・・・」 母のことである。 もちろん、母が隣の部屋にいるときにつぶやく。 そして母が部屋にはいってくるとだまりこむ。 私といるときは、しんみりと話したり、笑ったりもする。 だけど、母がやってくると父は態度をかえるのだ。 なんで?! 私が父と仲良くしている姿をみせまいとしているのだろうか・・・ 母は異常なほどやきもち焼きである。 身内にだってそうだから驚く。 それは母の妹(叔母)から聞いたことがある。 実の妹と自分の母親がいつも仲よくしていたのを見ていて 自分の母(私の祖母)がいなくなってしまえばいい! そう思っていたと後で叔母に告白していたという・・・ さすがに叔母も驚いたという。 そういう母を支えてきた父。 この人の苦労がしのばれる。 そして母のことで父とポツポツと話していたとき・・・ 父が目で合図した。 次の瞬間、母が入ってきた。 また黙り込む父。 行った後、父はまた私をみて二ヤッと笑った。 この人・・・ 楽しんでないかっ?! 母の攻撃的な態度をかわすための護身術?! 「爺ちゃん、寒いね・・・ もう数ヶ月したら暖かくなるから我慢してね・・・」 すると・・・ 「いや、まだ3年は生きると思う。」 いやいや。。。そういう意味ではないのだけど・・・ その時の父の顔は真顔だった。 そう簡単には死なないよ~ おちゃらけている父の姿がかぶってみえた。 うーん。 この人、なんだかんだ・・・・ 楽しんでいるのかも・・・ 魂はいろんな経験をすることで成長するというからね。 自由がきかなくなって私はかわいそうと思っていたけど、 まちがっていたのかもしれない。 少し弱ってみせているだけなのか・・・ 実のところ、この冬は越せないのではないかと主治医から言われていた。 余命ははっきりわからない。 2カ月前くらいに熱が出て入院したが今は熱はない。 いよいよか・・・ 覚悟していた私たちだったが、その間近所で2件も葬式が出た。 人生、分からないものである。 父は本当にこのままいてくれるかもしれない。 母が父を足かせのように言うらしい。 私には言わないがたまに来る姉に泣きつくという・・・ 私にはぜったい、そんなそぶりは見せない。 父は姉と私とあきらかに接する態度をかえる。 「婆ちゃんは世話してくれる?怒ってる?」 そう聞く私に 「気持ち悪いほど・・・(よくしてくれている)」 そう答える。 私には泣き言をいわない。 でも姉にはちがうようだ。 なんか・・・ 父が何かを演じているように思う。 父の目標は生きている間は自力でトイレにいくこと。 転んでしまったら自分ではなかなか立ち上がれないが、それでもがんばっている。 母の方が病人のように見える。 前ほど父を可哀想には思わなくなってきた。 最後まで楽しんで欲しい。 お茶目な(?!)父である。 母の方も少しずつ機嫌を直しているようだ。 私をアテにはできないと思ったようで前ほど何でも頼まれなくなった。 自分で出来るようなこともしようとせず、すぐに人をアテにしていたから・・・ こどもはアテにならない。 母なりに気がついたようだ。 それを受け入れるのに母も時間がかかったようだ。 子ども = 自分を面倒見る それが崩れた。 冷たいようだが、私には私のやるべきことがある。 毎日というわけにもいかないのである。 ぐうたらするのも私には必要 ← 大きな声では言えないが 父も私の前では最後まで父親の顔をしていたと思う。 普段のままの生活を続けることを父も望んでいるだろう。 今を生きるしかない。 昨年は回想ばかりしていた。 おかげで今があるとも言える。 でもこれからは過去にも未来にも気持ちを置きすぎないで生きる。 それが今年からの私の目標。 めずらしく新年に目標をもってしまった(≧∇≦) マイペースでいこ~っ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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