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テーマ:今、健康ですか?(254)
カテゴリ:気づき
ここ数ヶ月、ほとんど父母の病気の報告のようになっている。
父に至っては、やがて1年。 母は2カ月。 母の担当医に呼ばれた。 「どこの数値をみても、まともなものがないくらいです。 このままだと本人さんもおつらいでしょうから、針で腹水を抜こうと思います。」 はい・・・ 私は最初からそれを望んでいましたよ。 とも言えず・・・ その行為は少し危険らしい。 「抜いた翌日にスーッと亡くなるケースがあります。」 もう覚悟をしておけってことらしい。 今となっては呼吸をするのもつらい母。 身体をベッドにくくりつけられ、手にはミットのようなもの。 そして寝間着は赤ちゃんのつなぎのようなものを着ている。 身体があちこち痒いと言って病院の寝間着を脱いだときからそうなった。 おしっこは管を入れている。 元気なときの母なら言ったであろう。 「あんな姿だけはなりたくない!」と・・・ 数日前までは看護師さんに 「殺して・・・」 そうお願いしていた。 段々モルヒネの量がおおくなっているのであろう。 幻覚もすごそうだ。 「もう帰るね!」 そういう私に 「なんで・・・?」 なんでって・・・もうひとり家には病人がいるのにね・・・ 「私が誰だかわかる?」 「わからない・・・」 「え~っ、分からない人に側にいてほしいの?」 そうとう母は心細いらしい。 ちょっとしっかりしていたときには 「死ぬのがこわい・・・」 そう言っていた。 でも時には 「殺して・・・」 体調の変化で気持ちも変化する。 認知症もあれば幻覚も見える。 もう母にとっては自分がどういう立場なのか忘れてしまっているのかもしれない。 父もこのところ夕方に熱を出すことが多くなった。 ものすごくまともなこともあれば、歩けないのにトイレに行くときかないこともある。 「もう、婆ちゃんは帰ってこれない。 今、やっと息をしているんだよ。」 そう言ったときに 「そうか・・・」 正気になった。 数日経ってから私に言った。 「婆はもうだめなんやろ。 そのままおるのは可哀想や・・・ 死んだ方がいいかもしれん。」 涙ぐんで話す父。 うんうんと頷くだけの私。 でもね・・・ 爺ちゃんこそ、今がつらくはないの?! 呼吸だってつらそうだ。 どんなにつらくても黙って寝ている。 顔をしかめていることがあるし、実際熱は頻繁に出ている。 少し前の母の状態を思い出す。 余命2カ月の宣告をすぎて・・・ 姉がそろそろギブアップ気味?! 「あの人達・・・・ 死ぬことを忘れているんじゃなかろーか・・・」 ちょっと笑ってしまった。 姉はよくやってくれていた。 私よりもはるかに優しくあの母に接してくれていたのだから。 ごくろーさんと言いたい。 もう確実に母は近々旅立つだろう。 そのほうが本人のためだと思う。 最後まで病気を呪って、なんで私だけ・・・と思って逝くのか・・・ ありがとうと感謝して逝くのか・・・ どちらにしても、それが母の生き方だったと思う。 どんな人でも自分の母だ。 この母のもとに生まれた私。 それは大きな意味があったように思う。 父が肺ガンになり、看病していた母もまた肝臓膵臓の癌になった。 父亡き後の人生を夢見ていた母であった。 けれども夢は叶いそうにない。 母はいつも今を生きていない人であった。 楽しかった過去。 いつか訪れるかもしれない幸福を夢見ていた。 母にとって、今が幸せだと言えたときがあったのか・・・ それは本人ではないから分からない。 きっと本人だって分かってはいない。 そんな母をみて私は学ぶべき事が多くあった。 これはもしかしたら何よりも感謝すべき事だったのかもしれない。 私を成長させるために、あなたはいてくれたのかもしれない。 そう思ったら母を憎む気持ちはなくなった。 態度であらわすことが出来なかったが、感謝すべき人なのだ。 母は私なのだ。 私の姿が母に映し出されている。 そう、私も同じなのだ。 醜い私の姿を映し出してくれたのが母の姿なのだ。 誰よりも私の教師であった。 もういなくなる。 その日が近い。 いなくなる・・・ いや、いなくなんかならない。 これからはもっと身近になっていくのだろう。 いつも私の側にいるのだと思う。 きっと私はこんな状態を苦しんでいると思われているだろうけど、それほどでもない。 苦しかったのは今ではない。 幻となった過去を苦しんでいた。 それを手放す。 今は受け止めるしかない。 そう・・・ そうするよりほかない。 私は幸せだと言えるようになった。 これが何より大事なことだと気づかせてもらえた。 何十年もかかった。 鈍い私に両親が命をもって教えてくれたことだった。 ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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