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カテゴリ:気づき
父がとうとう永眠した。
昨日までこの部屋でベッドをおいていたのに・・・ 今は畳の上で眠っている。 ありがとう。 呼吸がおかしくなって救急車を呼んだ。 家でとても苦しそうにしている父を見てうろたえた私。 しばらく様子をみればまたいつものように戻る・・・?! でもいつもと違っていた。 朦朧としていた父。 「爺ちゃん爺ちゃん!!」 私の呼びかけにも応答はない。 28日の23時頃に容態がおかしくなった。 夫と義母と子ども達が外食して帰ってきて1時間もたたない時だった。 父に水を飲ませたあとの出来事だった。 むせて苦しそうにしていた。 朝から食欲もあまりなく、脱水症状をおこしている?! まったくたべものを受け付けないわけではなかった。 痰が切れにくいので普段から水分もなるべくとらせていた。 でもこのところ水を飲むのはつらそうだった。 抗生物質を処方されていたが、それを呑み込むのも正直ここ数日は 父にとって苦痛であった。 食べられないときは何とかして点滴をうけさせなくては・・・ 脱水症状がでないようにと心がけていた。 それが仇となった。 咳をしてむせることは今まで何度もあった。 今回もそうだと思っていたが、いつもと違っていた。 そして救急車が来てしばらくして心臓がとまった。 私に後悔の波が押し寄せた。 救急車の中で私は父にあやまるしかなかった。 「このままマッサージを続けます。」 消防隊員の人の声を聞いて震えがきた。 何とう愚かなことを・・・・ そして10分足らずで病院に到着した。 待合いで姉と姪っ子に水を飲ませてそうなったことを伝えた。 「ごめん。。。私のせい。 やってしまった・・・」 肩を落とす私。 「そうじゃない!それは違う!何も間違っていない!」 姉と姪は励ましてくれた。 医師達は蘇生するようにがんばってくれていた。 たとえ呼吸がもどっても以前の父の姿はもう見られない。 もう瞳孔が開いてしまっていたというのに父の心臓は復活した。 「信じられません! 大変、心臓が立派な方ですね。 元の状態に戻ると言うことはないでしょうが自力で呼吸されています。 このまま病室にうつります。」 父の口から管が入れられていた。 「いまのうちにどなたかお知らせになりたい方を呼んでください。」 日付がかわっていた。 義母と義兄。 父方の伯母夫婦。 姉のだんなさん。 主治医から説明を受けているときに揃っていた。 集中治療室にうつった父に2,3人ずつ顔をみてもらう。 「爺ちゃん・・・」 さわっていいのか・・・・?!肩をさすってみた。 「安定されたようですし、これで皆さん、いったんお帰りください。」 親戚に帰ってもらって、しばらくいて自分たちも帰ろうとしたその時だった。 「ご家族の方、容態が急変しました!すぐにこちらにいらっしゃってください!」 父の目はあいていた。 「爺ちゃん・・・ごめんね・・・ほんと、つらいおもいさせてごめん。」 何十回と私、くり返していた。 何か話そうとしているが管がはいっているのでわからない。 何か答えてくれている・・・ その後、父の心臓はとまった。 29日の午前2時40分だった。 みんなが帰るのを待って逝ってしまった・・・・ 最後までなんとサービス精神旺盛な人か・・・ そして一度は還ってきたのは・・・ 私が自分を責めたから・・・・?! 優しいひとだった。 「気にするな! 泣くな! あやまるな!」 そう言ってくれていたような気がした。 温かい人だった・・・・ 「何か言いたそうだったよね・・・」と私。 姉が言った・ 「そんなん、いつもの あ・り・が・と に決まってるやろ!」 涙が溢れ出た。 ほんと、未熟な介護でごめん。 いつも幸せいっぱいもらったよ。 あなたがますます好きになった。 本当にありがとう。 あなたの娘でよかった。 あなたの美しい穏やかな顔をみて少しほっとする。 もう苦しみから解放されたんだよね。 これで良かったんだよね。 あのままでいるほうが父にとってはつらかったんだよね。 おつかれさま。 今晩は通夜。 問題は母。 実は母も容態が良くない。 母が逝くのも近いのは分かっている。 父の葬儀は私の結婚記念日となった。 忘れられないように、やってくれたね、父ちゃん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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