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カテゴリ:気づき
ゴールデンウイーク中がヤマだと言われていた母。
今も寝たきりで身動きひとつとれないまま病院で過ごしている。 もう目も見えていないようだ。 昨日は母の日だったので花瓶をもってお花を生けてきた。 本人はそれどころでもなく顔をしかめていた。 入院したころは 「かゆい~かゆい~ いたいいた~い hossyのバカはどこに行ってる~」 なんて話すこともできたのが今では痛みをとるために朦朧となっている。 聞こえているとは思う。 だけど返事がない。 元気な時は母の思いこみの激しさと、おそろしいマイナス思考にうんざりしたものだ。 ただ生かされているだけの母の姿をみて何とも言えない気持ちになる。 生に対する執着があるのだと思う。 死ぬのが怖いってずっと言っていた。 「もう楽になりなよ・・・」 言ってはいけない言葉。 でも苦しがる父にも涙しながら何度も言った。 白目も黄色くなって・・・ 顔は痛みでゆがみ・・・ 注射の針のあとが紫色になっている。 「どんな姿になっても長く生きさせるのが子どもの役目だろうが!」 主治医から母の余命宣告をいっしょに聞いた母の弟は、その姿をみてもやはり同じように言うのだろうか・・・ その伯父は母の入院を知っても一度も病院に行かなかった。 我が家にいるときも一度だって電話もなかった。 本当に心配していたのか? 夜に母を勝手に病院から連れ出そうとしたあの行動は何だったのかと笑えてしまう。 一時の感情で常識なき行動に走った伯父も年なのか・・・ 母は今もがんばっているよ。 尿も少なくなった。赤い色・・・ 人はこんな姿になっても逝けないのかと悲しくなる。 何が気になっているのだろう。 これ以上のつらいものはないと思う。 手放せないのだから仕方ない。 父の葬儀の後、姉とは何度も話しをしている。 いまだに両親を許せないでいる。 親らしいことは何もしていない! 特に母のことは許せない。 「あの人はどんな環境だって満足できない。どこまでいっても幸せになんてならない!」 悪口は延々と続く。 姪っ子と私はだまってしまう。 もうやめようと言いたいのだが、ますますエスカレートするのがわかるから。 「お前はまだいい!私がいつも家の犠牲になったきた!」 そうなるのが分かっている。その姿は母とだぶる。 何度もそれで言い合った。 もういいじゃない・・・ きっと姉はどんな親だったとしても何かしら言っていたと思う。 お金があろうがなかろうが・・・ しっかりものの親だったら、どうなっていたかね・・・ 口うるさく言われていたら素直に聞いていたかしらね・・・ 結局、私も姉も母に似ているのだ。 私たちを映し出しているのが母の姿なのだ。 母は大げさに私たちの姿を映し出しているのだ。 そのことに早く気づきなさいと言いたいところだ。 姉も見えていない部分がある。 今のところは父をひきとった私たち夫婦に感謝しているからあまり言わない。 でもいつか、その感謝の気持ちもなくなるであろう。 そして攻撃する。 あなたもつらい生き方しているね。 もう楽にならないといけないのは姉なのである。 母が亡くなったとしても、姉の苦悩はかわらない。 飢餓感でいっぱいだ。 姉がそのことに気がつくきっかけが今なのだと思うのに・・・ その機会を逃す度に事はまた大きくなってふりかかるのではないだろうか。 妹に言われて納得などするわけがない。 私は姉にとってはいつもお気楽で脳天気なのだから。 あなたが簡単なことを複雑にしてきたんだよ・・・ 許しさえすればいいのに。 過去のトラウマが姉を苦しませる。 出口のない迷路をさまよっている。 憎むべき矛先がいつもどこかにある。 それで自分をふるいたたせているのか?! 母はいつどうなってもおかしくない状況である。 明日は子どもの遠足。 夫は二泊三日で出張。 日曜日は次男の運動会。 そのあと恐怖の家庭訪問がはじまる。 こればかりは仕方ない。 母も空気よみまくって、逝くタイミングを見失っているのか?! それはないと思うが・・・ 父の死は思いがけなかった。 母は思いのほかがんばっている。 ふたりとも意外だ・・・ どうすることもできず、見守るしかない。 落ち着かない状況である。 電話にびびる。 ふう・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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