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テーマ:たわごと(26892)
カテゴリ:今は亡き母の話
友達のRちゃんが実家に戻った。
昨日の深夜にメールが来た。 お正月にダンナさんから離婚してくれと言われたRちゃん。 義父母とはギクシャクしていたがまさかまさかダンナさんから言われるなんて夢にも思わなかったらしい。 実家には妹がお婿さんをとって子どもがひとりいる。 実のお父さんもいる。 15年ぶりに実の家族と同居することになったが微妙な感じのようだ。 同居の大変さがよくわかった。 もちろん肉親だって同じだ。 今度は妹のダンナさんに対してものすごく気をつかうだろう。 その気遣いが大事だと思う。 それがなくなったときが恐い。 自分の親と嫁の間に入れなかった元だんなさんは家に残るらしい。 親を見すてられないのだろう。 精神的に壊れてしまっている不安定な母を置いていけばどうなるか想像もつく。 だんなさんは、Rちゃんをお母さんから解放してあげたいと思って離婚を申し出たのだろう。 私も実の母と夫の間でドギマギしたものだ。 母の発言は恐ろしい。 何を言い出すかわからない。 悪気がないだけにタチが悪かった。 Rちゃんの義母さんも結婚した当初はやさしかったらしい。 「あの初々しかったお嫁さんはどこにいってしまったのか!」 面とむかってRちゃんも言われたらしい。 お互い様だったように思う。 どちらかだけが悪いわけではないのだろう。 2人の娘もなんとか連れて出てこられたようだ。 それは何よりだと思う。 母に見すてられたと思うほどつらいことはない。 どんな理由があっても子どもにはそう思えない事もあるだろうから・・・ 自分は母がいても頼ることができなかった。 母は金銭的に家を支えたこと、イコール立派に子育てしたと思っていた。 母の愛はお金だった。 それでも愛は愛。 だけど子どもにはそれが愛だなんてわかりゃしない。 こどもは母をこんなにも求めるものなのかと今強く思う。 昔は分からなかった。 母が嫌い。 求めても答えてくれない母に対して憎しみを感じるようになった。 私はどんだけ母を求めていたのだろう・・・ 寂しさを感じないように平気を装っているうちに、わからなくなっていった。 親のケンカを見る度に耳をふさいだ。 どこにも自分の居場所がないと思った。 私は機能不全な家庭に育つ典型的な子どもだった。 Rちゃんにはいつも言っていた。 「子どもを離さないで。 たとえそうできなかったとしても、最後までひきとる努力をして。」 この言葉でいつかRちゃんが苦労することになるかもしれない。 それは金銭的な苦労かもしれない。 でもRちゃんがあの暮らしの中にいるのは限界だった。 2階に寝ているのに下から電話がかかっていつ家を出るのかと義母さんから言われていたらしい。 そこにいるのが恐怖だったと・・・ こどもを置いてくることは、いつかきっと心残りになるだろう。 「お義母さんを恨んじゃだめだよ・・・あなたと同じく寂しさを抱えていた人だよ。 どんなことを言われても、最後はお礼を言ってでてきてね。」 私の本音を言った。 そこからがRちゃんの新しいスタートだと思うのだ。 私もRちゃんも元義母さんも・・・そして私の母も皆飢えていた。 愛情に・・・ 私には女の子が宿っていた。 けれどもこの世に生を受ける前にお腹の中で死んでしまった。 息子が2人いる。 何で娘が生まれなかったのか分かった。 同じあやまちをくりかえし、また私のような子どもになってしまったかもしれない。 母と娘。 これは特別な関係だ。 もうこんな(私たちのような)関係は断ち切らなければならない。 生きづらいと感じていた何十年。 からくりが分かって、私は本当の自由を手に入れた。 自分で自分を縛っていただけだった。 今本当に楽だ。 みんなそうなって欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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