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おきらく主婦のたわごと

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2010年07月07日
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テーマ:たわごと(26785)
カテゴリ:今は亡き母の話
私の周りにはなぜか家族の問題を抱え込んでいる人が多い。

とびぬけて多いのが不登校。

世の中の小中学生はこんなに学校が苦痛なのか?!

私の周りが異常に多いのか・・・

私が引き寄せているのか・・・・?!

どうも私は人のお悩み相談係になっている。


ここ3年ほどつきあいのあるUちゃん。

こどもは小5、中3の女の子が2人いる。

とにかく心配性である。

これまで夜中の訪問やメール相談とせっぱ詰まったことが何度もあった。

普段はカラッとしていて、大きいことを言っている。

あねご肌の人。

それが彼女の第一印象だった。

世の中の多くの人は皆、そう思っている。


彼女の心配は次女が学校でいじめられているということ。

それが真実かは定かではない。次女の言葉を信じればのはなし。

子どもへの思いは異常なほど。

いじめは自分の幼少時代を思い出させて、当時を思い出すとそうとうつらいらしい。

私が思うに次女は母に気にかけてもらいたいのだ。

気の短いところがあって、よく怒鳴っている。

「言いたくないけど、ついつい言わずにはいられない・・・」


まあ、わかるんだけど。

私もそうだった。

思い通りにならないことに苛立ちをもっていた。

それが自分を苦しめていたとわかった日から私は解放された。

私を苦しめていたのは思考だった。


いつの日から自分の母を尊敬できず、いつのまにか憎しみに変わっていった。

この私の人生は失敗だった・・・

次の人生にかけよう!

子どもながらに、そんなことを思っていた。

何度もこの人生を終わらせたいと思った。

「自殺したらあかんぞ!」

母の言葉だった。

ささやかな反抗をしながらも親の言いつけに背くことができずにいた自分が嫌いだった。

だが、あの母の言葉で今があるのだ。

心配性で怖いものをたくさん作り上げ、私を縛っていった母。

自分の人生は何のためにあるのかと思い悩んだ。


Uちゃんをみていると私の母とだぶる。

しなくても良い心配をして、自分が苛立ち周りをふりまわす。

子どもを思うあまりに見えなくなっているものがある。

失うことの怖さから、こどもをコントロールしていく。

そして思い通りにならないと嘆く。

二面性があることも同じだ。

人には楽天家と思わせたいのだが、私のような存在の人をみつけるとどこまでも弱音を吐く。

母はいつも困っていて、いつも心配でいっぱいの人だった。

Uちゃんがこどもがかわいく思っているのは間違いない。


母も私をかわいく思っていたんだろう。

Uちゃんの次女はかまってほしいのだ。

気にして欲しいのだ。

かつての私の姿だった。

母はいつも私に背をむけていた。

親に相談されることはあっても相談などできなかった。

親子が逆転していた。


亡くなってからもいろんな形で私にメッセージをくれる母。

それは大事にとってあった父からの手紙だったり、自分の日記だったり・・・

Uちゃんの出現もそうなんだろうかって思う。


「どう接して良かったのか分からなかったんだから許してや。」

母の声が聞こえてきそうだ。

死ぬまで母は愛を求めた。

自分だけに向けられる愛を・・・


つらい人生だったろう。

いつも何かが足りない人生だった。

でも本当は幸せだったんだよね・・・

気がついていなかっただけなんだ。

個性的で自己中な人だったが私の母としての人生の役割はばっちりだった。

お互いが生き抜くために必要な存在だった。


亡くなってようやく分かった。

自分をクズだと思っていた。

いつも他の誰かになりたくて人をうらやんでばかりいた。


それを終わらせるために両親は逝ってくれたのかもしれない。


無駄にはできない。

もう動くしかない。

少しずつ動き始めているような気がする。

この道にくるために何をしていても長続きしなかったのだと思う。

心理学を勉強したいと思うようになってきた。


我が家のお子様達はお勉強はあまりしない。


母の背中をみせたるわ~


「毛深っ!!」


長男に言われそうだ(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!


















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最終更新日  2010年07月07日 09時16分11秒
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