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カテゴリ:今は亡き母の話
うちは新聞をとっていない。
これまではそれで困ることはなかった。 両親が他界してからである。 お香典をいただいていることもあって、おくやみ欄は目を通さなくてはならない。 それでも新聞をとらずにネットの新聞のおくやみをチェックする日々。 ここ数日、チェックを忘れていた。 まずい!と思って今日みたら・・・ 103歳のお婆ちゃんが亡くなっていた。 実家の近所のお婆ちゃん。 うちの母のあこがれの人だった。 90歳をすぎても畑仕事もばりばりしていた。 お話もしっかりしていた。 「90歳まで生きたい!」 母はよくそう言っていた。 もう少し若いときは 「100歳まで生きる!」 そう言っていたが、歳を重ねるごとに弱気になっていったのかもしれない。 偶然にもその家のお嫁さんは母の同級生だった。 里がいっしょという親近感で母にしてはめずらしく近所づきあいのできる知り合いだった。 数年前に嫁、息子をなくした。 それでも、たくましくひとりで生活をしていた。 なくなった日はうちの長男の誕生日だった。 実は私の祖母も長男の誕生日が命日だ。 なんだかな~ 生まれる日に意味があるなら亡くなるにも意味があるんだろうか・・・ お通夜は夫にお願いした。 夫は婿だから実家の近所の人はあまり詳しくない。 案の定、誰も分からなかったと言っていた。 100歳過ぎて自分の身の回りのことをしていたなんて尊敬する。 若くしてダンナさんを亡くしてひとり息子を育て・・・ 息子と嫁に先立たれ・・・ つらい人生だったかなぁ・・・ 長い間、お疲れ様でした。 「死にたくない・・・」 母がずっと病院のベッドで言っていたのを思い出す。 もう自分の力で起き上がることも寝返りさえうてない状態でも母は生きていたかったのか・・・ 「死ぬのが怖い・・・」 そう言う母をみていつも思った。 あなたのその状態こそが地獄なのではないか?! 口をきくこともできなくなり、痰は血、尿がまっ赤になっても母は生きた。 なんでそんなにがんばるのか・・・ みていてもつらくなった。 もう楽になっていいよ・・・ 心の中で思っていた。 つらい最後だった。 母の生への執着が強かった。 手放すことができなかった母。 つらかった人生とお別れすることも嫌だった。 いつも恐怖と闘っていた姿は私の姿だった。 今はもう楽でしょ?! 私も穏やかだよ。 親孝行はできなかったけど・・・ あなたより先に逝かなかった事くらいかな。 できた親孝行は。 今もし元気でいたら、やっぱり口げんかしてるんだろうね。 結局似てるのさ。 似たもの同士。 親子だもんね。 生きているうちに分からなかったことも私の中で計算されていたんだろう。 この思いを抱えることが必要だったんだろう。 後悔はしないよ。 「孝行したいときには親はなし!」 母がよく私に言っていた。 それを聞く度に親孝行の要求をされているようで腹がたった。 そうじゃなくて・・・ 母もまた、同じ思いで親を見送っていたんだろう。 生きているときには口うるさかった母。 しっかり私は洗脳されたよ。 おかげで苦しんだ。 それも予定通りだったんだろう。 夢に1回だけでてきた母。 口うるさかったわりに出てこないものだ(≧∇≦) このところ身体の痒みと格闘していた。 これも何か意味あるんだろうか・・・ もうちょいって感じだ。 今は顔の具合がいまひとつ。 ← もともと?! アレルギー検査とか受けた方がいいんだろうか。 (-ω-;)ウーン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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