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おきらく主婦のたわごと

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2010年08月11日
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テーマ:たわごと(26785)
カテゴリ:今は亡き母の話
数ヶ月前から夫名義で郵便局から毎月葉書が届いていた。

何のことかよく分からないまま放置しておいた。

年金生活の両親は細々と2人で暮らしていた。

お金など残っているわけなどないのは知っていた。

葬式代分くらいは残っていた。

借金がなかっただけでもよくやったと思う。

母は私たちを育てていたときにも、いつもお金の心配をしていた。

当時、その愚痴は聞きたくなかった。

うちは貧しいから幸せじゃないのだと心に刻んでしまった。

親がケンカをするのもお金がないから。

学校から集金袋をもらう日は憂鬱だった。

今は仕方のないことだと思えるようになった。

私が働くようになってからは少しだけ楽になっていたかもしれない。

それでも贅沢になど暮らせなかった。

父は米を作って売ってはいたが、農機具に頼らないわけにもいかない。

車だって乗らないと人力だけでは到底無理だ。

決して儲かることはなかった。

よく母は家で食べる分だけ買った方が良いと愚痴をこぼしていた。

ジムに行って身体を鍛えているような感覚だったのだろう。

下手したらお酒を呑むだけの生活になってしまいそうだったから良かったと思う。

それに米作りは父の楽しみであった。

私たち夫婦には何かをしてあげられるとしたら、うまい米を作って食べさせることだった。

「米はあるかい?」

そう言って母が電話をかけてきてくれた。

父が母に電話をするようにうながしていた。

私は当然のことと思っていた。

当時の自分の心はとても飢えていた。

自分の目的のために動かす駒である自分にそれくらいしたって当然だと思っていた。

今思うと情けなくなる。


夫がめずらしく午前中、お休みだったので郵便局に出向いた。

それは母が10年前に毎月一万円ずつ定期にしていたお金が満期になったという知らせだった。


思わぬお小遣いだった。

母がまた驚かせてくれた。額はわずかであっても父と母が切り詰めてためた大事なお金だった。

「次男の中学の入学準備に遣わせてもらおうか・・・」と夫。

母もきっと孫の為に何かしてあげたかったのかもしれない。


親ってありがたいものだ。

両親が亡くなって2回目のお盆だ。

1日も2人のことは忘れたことがない。

思い出すことが供養だと思っている。

日に日に親の愛が痛いほど分かっていく。



自分はいったい何をみていたのだろう・・・

元気な頃に分からなかった自分は何かにとりつかれていたようだった。

自分を責める気持ちはない。

当時、分からなかった自分に意味があるのだと思っているから。

私には必要な経験だったと感じているから。


だから今の自分がある。

日々、感謝である。

今日も写真の父と母は笑っている。


良い笑顔だ。
























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最終更新日  2010年08月11日 19時45分24秒
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