|
テーマ:たわごと(26889)
カテゴリ:今は亡き母の話
実家のお墓参りに行ってきた。義母がぜひとも連れて行ってくれと言うので、お墓参りのはしごとなった。
実家はとてつもない過疎地。 知らない人を連れていけば、どこに連れていくのだと不安がる。 まさか、この先人が住んではいないよね?! すまん。住んでたよ・・・(≧∇≦) 時々、道路をたぬきが横切ったりヘビが横切る。 クマ出没!注意!の看板なんかも出ている。 私は遭遇したことはない。 両親が亡くなって2回目のお盆である。 家の前は草が生い茂っていた。 いつも車の停まる音がすると母が中から出てきた。 私はあまり帰りたいと思っていない親不孝娘なので、いつも昼近くになる。 朝から 「まだ、家におったんか?」と電話をよこしていた母。 朝からご馳走をつくって待っていた。 料理は得意ではない母だった。 ゆですぎた高級そうめんが台無しだった。 「そうめんのつゆは手作りじゃないとだめだ!」 と言っていつもつくるのだが、ダシの味はでているが醤油が入っているのか?! これは麦茶じゃないのか?! なんてこともあった。 料理が苦手でも私たちのために食べさせたいと思っていたのだろう。 誰も迎えてくれない家に帰るというのは何とも言えない気持ちになる。 ほんの2年前、父は家で療養中、母はまだ元気だったのが信じられない。 いつもお花とお水をもって先頭きって母がお墓まで歩く。 婿がきた、孫が来たとそれはそれは嬉しいお盆だっただろう。 義母もずっと気にしていてくれていたようだ。 「おひさしぶり・・・やっと来ることができましたよ。」 義母が手を合わせて言った。 ここ数年、義母も随分歳をとった。 自分の親をなくしてもうすぐ10年。 義母も苦しい選択の時期があったらしい。親をとるか、婿をとるか・・・ 親と自分の夫がうまくいかなかったらしい。 夫が赤ちゃんの頃、離婚した。 子どもの頃、義母はおそろしく怖い母親だったそうだ。 若くして親の会社を継いだ。仕事をおぼえるために進学をあきらめた。 悔しかっただろうに。 子ども達には別れた父親のことはいっさい話さなかったらしい。 子どもながらに聞いてはいけないことのように思っていたと夫は言う。 「その辺の男より恐い人だよ!(* ̄▽ ̄)ニヤリ」 私と結婚話がすすむときに脅された。 印象的にはそうだったが、違った。 義母は強くて、やさしくて、心の広い人だった。 財産ともいえるものがない我が家とおつきあいをしてくれた人だ。 本当は大事な次男を婿になどだしたくもなかったのに・・・ 「もう、好きにしなさいな。」 ありがたかった。 この義母にまだまだ私たちは甘えている。 今は義兄が会社を継いで義母は会長となっている。 ずっと元気でいて欲しい。 あの家は父と母がいるのがあたりまえだった。 父の死を意識した時でも、母はずっといるものだと思っていた。 「私は、ひとりになりたい!」 よくそう言っていた。 ひとりの悠々自適な生活を夢見ていた母だった。 実際は父なくしては生きていけないほど愛していたんだろう。 ふたりがいなくなって寂しいというより・・・ 自分が思っている以上に親が私のことを思ってくれていたことが伝わってくる。 それはいろんな形で私に伝わる。 時には私の友人の言葉だったり、本だったり、テレビからだったり・・・ この感謝の気持ちは今、きっと伝わっているとは思う。 ただ肉体をもっていたあの時には言えなかった。 私のこの残念な思いはずっと抱えていくことになるのだろう。 今もふたりがいたなら毎日ケンカをしているだろう。 そんな愛情表現もあったのだね・・・ いつか私も子ども達の帰りをまつ時がくるのだろうか・・・ 現実は終わらぬ宿題にヤキモキしている!Σ( ̄□ ̄汗…) こんな時をなつかしく思うんだろうな。 あの頃はかわいかったねぇ・・・って。 あと2週間で夏休みが終わる。 いつまでも暑い夏である。 草むしりをしたいのだが、暑い中、外に出るのはいやだ。 例の湿疹もようやくおさまった。 とりあえず日焼けには注意している。 「実家の草むしりしときなさいよ~っ!」 義母に言われた(-ω-;)ウーン これも終わらぬ私の宿題・・・・?!(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|