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カテゴリ:今は亡き母の話
昨日の夕方、近所のスーパーで買い物を終えて車に向かおうとして驚いた。
げっ!カートにカバンがひっかけてある! これは・・・近くに持ち主がいるのか?! 夕方のスーパーは皆忙しそうだった。 仕事を終えてからの買い物で時間との戦いなのだろう。 ここには持ち主はいない?!と判断してお店のサービスカウンターへ持っていった。 あきらかにお財布が入っているようなかばん。 大型ショッピングセンターでもたくさん買い物をした人がカートに荷物をつっこんだまま、 どこかに行ってしまっている光景をみる。 小さい子どもを連れている人かも知れない。 子どもはどんな行動をとるか分からないからねぇ・・・ 私にしたら荷物を身体からはずして置くなんて 「どうぞ、持っていってください~。」 そう言われているような気がする。 イギリスで3年生活した身だからしかたないかもしれない。 身につけていても、子どもに気をとられてスリにあったこともあった。 キャッシュマシーンでも周囲に誰もいないかを確認した。 警戒心の塊だった。 実はそのせいだけでもない。 私が小さい頃、母といっしょに出かけてバス停にいるときに母が言ったものだ。 「ぜったい、荷物から手をはなしちゃダメだぞ!誰かがもっていくから!」 そう言って私に荷物の番人にさせたこともあった。 母はいつもポシェットを斜めがけにしていた。 そんな母に育てられた私なので海外に行って、ちょうど良いくらいだった。 将来、私が海外生活をするとでも思っていたのだろうか・・・ 私の場合は語学留学でもなく、夫の仕事でついていっただけだ。 イギリスでも時々日本人の観光客と思われる人たちがカートにカバンを置いている光景をみかけた。 親切なイギリス人は注意してくれた。 子どもはきっちりカートに乗せて、歩き回ることなどさせない。 もし、手をはなしてしまってどこかに行けば・・・ 帰ってこないものと思え! そう言われていた。誘拐目的などではないらしいから。 臓器目的?! とにかく当時は警戒心でいっぱいだった。 忘れられていたカバンをあずけて車にいこうとしたら血相を変えて走っていく奥さんがいた。 遠巻きに見ていたら、カートの置き場所できょろきょろしていたので持ち主だったのだろう。 中に入っていったようなので大丈夫だろう・・・と私も家に向かった。 日本はなんだかんだ言っても平和なのである。 だけど私の母はどうだったろうか・・・ 生きている間、いつも人にだまされてはいないかとピリピリしていたのかもしれない。 心を許せる人は家族しかいなかった。 きょうだい達も母には下手なことを言えないと陰でいっていたのを聞いたことがある。 自分が間違っているなどと思うことはない人だった。 だから、こいつがおかしいと思うとバッサバッサ切る?! まさに、うざい姉だったのだろう。 母の一生を思うと可哀想に思うこともある。 10人兄弟の第1子として生まれ、ずっと甘えられないままに大人になった。 母もまた私と同様、寂しいと気がつかないまま育った。 そして人を妬んで、いつも自分には何もないと思いながら逝ってしまった。 私がそのことに気がついた頃には母は言葉も話せず、ただ息をしているだけの人だった。 初めて自分だけの人と思えたのが父だったのだろう。 その父が亡くなって2週間後に母も後を追うように逝ってしまった。 「私だけをみて。」 最後の2週間、生き抜いた母がそう言っていたような気がした。 いつも誰かの特別な人になりたかった。 わかってやれなかった。 元気なときは本当に憎らしかった。 無邪気で好き勝手言っている少女のような母。 そんな母を受け止めることが出来なかった。 母の気持ちが今ならよく分かる。 そうなることになっていたのだと思うしかない。 今日も暑い。 今から読み聞かせのボランティアに行こうと思う。 私や母のような寂しい親子にはならないでっていつも思う。 赤ちゃんはかわいくて、こちらが癒されてくる。 なかなかおいしいボランティアだ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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