キリスト教への戒め
麻原の一審裁判が終わった。あらためでこの事件の恐ろしさに戦慄する。良い信徒ほど、指導者の気持ちに答えようとする。だから宗教指導者が道を誤った場合、共に誤って行きやすい。およそ宗教というものは、皆この危険性を持っていると思う。初期キリスト教には、外部からの迫害と、内部からの「カルト化」という2つの戦いがあった。それらの戦いの中で、聖書の正典化、信条の形成が行われた。もう古ぼけてしまったような信条や、信仰告白も、その群の信仰のありようをチェックする大切な働きを持っている。教団があり、役員会や法人監事があり、それは信仰的、教理的に道を踏み外した組織や牧師をチェックできるシステムの一つだろう。しかしそういう牧師に限って権威的、高圧的に信徒に関わりやすい。「ボクの言うことを聴かない人は、悪魔にそそのかされているのですぞ!」そうなるとチェックなどはとうてい出来まい。せいぜい心ある信徒は黙ってその教会を離れるしか道はない。正統を標榜するキリスト教会内部にも、カルト化の危険は、昔も今も変わらない。キリスト教会の教団離れ、単立化が進んでいると言われている。こんな時代の流れが教会のカルト化を押し進めているような気がしてならない。自分は大丈夫、と語る人ほど危ない。極端で熱狂的なあり方が「最高」と感じる人々がある。熱心と熱狂とは、天と地の違いがある。