クリスマスのお話
メリー・クリスマス! さてクリスマスは、キラキラした飾り物、とんがり帽子、クラッカーを「パン」と鳴らしたりしてクリスマス、それだけかなぁ。「クリスマスおめでとう」「何がおめでとうなんですか?」「エーとう~ん、わからない」「暗闇の中を歩く人々よ。大いなる光をごらんなさい。 死の陰の地に住む人々よ、あなたがたの上に光が照り輝きます。 すべての人を照らすまことの光であるかたが、世に来られます。」 これはイエス・キリストがお生まれになる約700年前に、預言者イザヤが話した言葉です。 神様はボクたちを救うために、キリストがお生まれになるずっと前から、この日をご準備下さっていました。 小さい頃からひとりぼっちで生きてきた若者とお話ししたことがあります。その若者に、生まれた時から今日まで一緒にいて下さった方がおられることをわかっていただきたいと思いました。 そしてもしその若者が、「ボクたちが神様に愛されている証拠を見せてください」と言ったら、「それはクリスマスがあるからだよ」と言いたいと思いました。 聖書では、神様はボクたちの世界で言う「親子」として出ていますが、お父様である神様が、そのお子さまのイエス様に、「罪のために苦しんでいる人々の中に行って欲しい。そして十字架にかかってきて欲しい」と言われて、イエス様はこの世に生まれてきて下さいました。 人間が生まれつき心に持つ「罪」は、法律を犯したこととは違います。神様を見失った孤独の心を表す言葉です。神様を離れた心をさして「罪」と言います。 ボクが初めて教会に行ったのは高校生の頃でしたが、教会で「罪」のことをきいた時、すぐにわかりました。とてもわがままな子供時代を過ごし、お母さんを困らせていました。また遊びに来たいとこの女の子と一緒に散歩に出て、自分は隠れてしまい、迷子にさせてしまったことを思い出しました。自分の中にある悪い心、人には隠すことが出来ても、神様には絶対に隠せないと思いました。 イエス様がお生まれ下さったのは、ボクたちの罪のために十字架にかかって死ぬためです。だれでも、天国に連れて行ってくださるためでした。 本田弘慈という牧師さんから、こんな話を聞いたことがあります。 ある所に美しい顔をした女性がいました。焼き餅を焼いた別の女性が、きれいな顔の女性に薬をかけてしまいました。被害を受けた人は、相手を恨みました。 その女性にイエス様のことをお話しする人があって、彼女は自分の心にも罪があることがわかってイエス様を心にお迎えしたのです。憎らしいと思う心が消えて、相手の女性に「私はあなたの罪を赦すことにしました。一緒にイエス様を信じましょう」という手紙を書いたと言うことです。 人をゆるすことが出来る、本当に神様に赦された人しかできないこと。神様を信じるとき、神様の力がボクたちの中に働き、神様を受け入れた人にふさわしく作りかえて下さいます。そのすばらしい事が、ボクたちの住むところに次々と起きるように、イエス様はお生まれ下さいました。 だから、クリスマスおめでとうございます!