詩との出会い
詩と親しむようになったのは母の影響である。小学校の高学年の頃「智恵子抄」を読んでいた母は、そばにいたボクに、高村光太郎の詩を読み聞かせた。流れるような口調と言葉の美しさに捕らえられ光太郎の詩を自分で読むようになった。「あどけない話」を暗唱し、次に「レモン哀歌」を暗唱した。「レモン哀歌」はいっそう美しいものだった。中学校だったか、国語の教科書に、光太郎の詩「道程」が載っていた。それも暗唱した。三好達治の「乳母車」が教科書に載った。それも暗唱した。その美文調に心振るわせ,自分も美文を書くようになった。高校生になると、「美文」を作ることが出来た。高校2年生の秋に,教会に行き、クリスチャンとして生きる道を選んだ。「美文」の空虚さに目覚めた。クリスチャンとして生きる道は、美文を弄する道とは正反対であることがわかってきた。