キリストのお姿~捕縛されても
「イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」マタイによる福音書26章47~54(新共同訳聖書)先週の水曜日からレント(受難節)です。ボクのゆっくりした新約通読も案配よく、今日は「イエスの逮捕」の場面です。イエスを捕縛するために先導したユダ。主はユダに対し、「友よ」と呼びかけます。パスカルが「パンセ」の中で述べていますが、イエスには裏切り者ユダに対する憎しみはありません。だって友と呼んでいるのですから。むしろ悲しみに満ちた使命を担わせられている者(ユダ)への、憐れみの情を読み取ります。主イエスもまた、十字架への道行きをご自分に課せられた使命と感じておられます。主を守ろうと、剣を抜いた弟子を諫め、諭されます。人々の方に向き直っては、彼らの行動の愚かしさと、神様の御旨を示されます。あらゆる苦境を、天からのメッセージ示す機会となさる主。堂々と、誠実に。ああ、主は本当にすばらしい方!