キリスト信徒やまひでの心の窓
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内戦下の国々では兵士がどちらに着くか奪い合うこの国でも内戦がありウグイス嬢を奪い合うという「手当をたくさん頂ける方を 選ぶわ」
2020年01月31日
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ワイマックスをやめスマホ・デザリングでインターネットを繋いで1年。格安Wifiが現れて、飛びついた。すぐにルーターが送られてきて最初はよかったが、この数日、つながっても遅くてじっと待っていなければならない。これならワイマックスの方がずっと良かった。やめたくても2年縛りがあって、やめられない。2年縛りの理由がわかった。
2020年01月30日
11月は、ムコさんが来て、ガソリンを入れてくれた。12月は、息子が来て、ガソリンと、灯油を一缶いれてくれた。1月は、車検があり・・・・自分で払った。
2020年01月29日
キリストというかたを信じるだけで天の御国へ行けるようになるとそんな都合の良い話があるかな?そのキリストというかたに大事な人生をかけて生きるそんなもったいない生き方があるかな?
2020年01月27日
中古購入したHuaweiのタブレット端末が、突然、画面が映らなくなった。画面の奥では普通に動いているようだ。ネットで調べてみると、この機種特有の弱点らしく、諦める気になった。廃棄するためには、いっぱいに詰め込んだ情報を読めないようにしなくてはならない。自動車で轢くことにした。車輪にかませて車を動かす。あれれ、全く映らなかったのに、半分映るようになった。もう一度、やる。液晶がバリバリになったがなんだか、まだ動いている。今度はハンマーで何度もたたく。無残な姿になった。
2020年01月25日
畜生、糞尿を垂れ流してきた、と後の日に振り返ったらきらきらと宝石に変わっていたそんなことは、ないかな?数々の功績を置いてきた、と後の日に振り返ったら石ころが無意味に置いてあったそんなことは、あるかな?
2020年01月24日
A牧師が亡くなったときには、一大事が起きたかのようにメールをくださった。B牧師が亡くなったときには、何も来なかった。
2020年01月20日
若い頃は神様のみ心を求めたが、老年になると自分の思いが先になる。違うかも知れないと、思いがよぎっても、気づかない振りをしたりする。 老いとは傲慢なものだと思う。 もし、若き日のように遠慮なく、暴走や間違いを指摘してくれる妻を持っていたとしたら、それは宝以上のたまものだ。 妻に限らず、痛いことをきちんと言ってくれる友、先輩また後輩を持つなら、特別な恵みが与えられているのだ。
2020年01月17日
キミは政府軍に誘われているの? ボクは反政府軍に、誘われているんだ。 兵士になれば、生きて行ける。 でも、キミと戦うことになったらどうしよう。 ボクも政府軍に行こうか。 ずっと向こうの国で ギターを持って歌っている若者を見たよ。 ああいいな。 ボクたちは、銃を抱えて。 今日も明日もこうして身構えている。 アメリカもロシアも ボクたちを見棄てて行った。 ほら、銃声が聞こえている方へ行こう。
2020年01月12日
朝起きると、足首が痛む朝起きると、膝が痛い朝起きると、股関節が痛い痛みは、消えたり別の場所に、移っていたりいつの間にか、忘れる70年を過ぎたよと時々、サインを出して教えてくれるこんなはずではないとは言わないけれどもう少しだから、頑張ってくれよとボクは言う
2020年01月10日
ボクは若い頃、吃音で苦しんだ。結婚後、言葉を閉じ込めていた心のつっかえが溶けて少しはあるが、苦しみはなくなった。ボクは乳児の頃からのぜんそく患者だった。秋になると発作に見舞われるのが年中行事の一つだった。結婚直後は、発作を起こすボクを見て妻は驚いたが、いつの間にか、発作は消え去った。結婚には癒やす力がある。
2020年01月07日
「主がこの地に雨を降らせる日まで、かめの小麦粉は尽きず、瓶の油がなくなることはない。」 列王記上17:141月1日の聖書通読の時に上記の聖句を読んだ。本当にそうだった!若い頃は貧乏が当たり前だった。妻や子供たちはお金や経済のことで一言も愚痴を言わなかった。子供たちは自立。奨学金も当たり前のように自力で完済。正月早々、神様がこの聖句を与えてくださった。初心に返り、信仰の道を歩め、ということだな。
2020年01月04日
聖書協会共同訳聖書を早めに読み上げること。去年は「サムエル記」までしか読まなかった。ウェスレーの邦訳されている著作を読み返す。パスカル著『パンセ』を読み直し、『プロヴァンシアルの手紙』を全部読みたい。さて、伝道は・・・・と。
2020年01月03日
昨日は年賀状のことを書いたが、ボクは年賀状を書きません。20年くらいは失礼していると思います。年が明けて「おめでとう」は、神道の挨拶と思います。おめでとう、という言葉には違和感を感じることが多い。受洗おめでとう! これが一番。受洗おめでとう、と祝福の言葉があそこにもここにもあふれてほしい。
2020年01月02日
聖書通読をして、ブログ友たちのサイトを読んでいると、ガ~と聞き慣れたバイクのエンジン音。郵便屋さんが通った。その先はどん詰まりできびすを返し戻って来られる。そしてボクの家の郵便受けにも年賀状を置いていってくださる。一月一日だと言うのに、一軒一軒に配達して走るのだ。ああ気の毒だな。でもきっと楽しみにして待っているお顔を励みに、走っているのだ。そうだ外に出て待ち、感謝して手づからいただくことにしよう!
2020年01月01日