プロとしての矜持
先頃亡くなったピアニスト、フジ子ヘミングボクが彼女のピアノを聞くようになったのはわが娘が、フジ子の演奏が好きと言っていたから。それからNHKのドキュメンタリー番組を見て逆境の中に生きた人だったこと、初めて知った。ブログの友、ジャン兄がNHKの放送について書かれている。マスコミは人の気を引こうと、興味本位で番組作りをする。音楽家の矜持を思い測ることをしない、というのがジャン兄のブログ記事の要旨のようだ(間違っていたらごめんなさい)音楽に仕える同じ道を歩んでこられたジャン兄としてフジコの思いを測って、切実な言葉を発出した。ボクも考えさせられた。プロとは何か?ボクも実はプロの牧師だったはずだ。プロとしての責任を果たしてきたか?井の中のかわずだったのではないか?自分の目で自分を見るとどうしても甘くなる。神の目で自分を見直すことはなかった。