カテゴリ:キリスト教とは
裁断したウェスレーの説教集をいつもリュックとかブレザーのポケットに入れて持ち歩いている。
電車の行き帰りで、だいたい一つの説教を読み終える。 きのう、ある会議に出た。 何とその説教集の翻訳者がボクの横に座った。 会議が終わると、親しみをこめてご挨拶された。 一度だけ、聖会の説教者としてこられて、そこでお目に掛かっただけなのに 覚えていてくださったのかな? ところで今日は「主の山上の説教」5を読んだ。 軽く衝撃を受けた。 ウェスレーが説く、福音と律法 異質なものと思っていたが ウェスレーにとっては同じものの表裏のようだった。 正攻法で聖書に向かえばこうなるのだな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[キリスト教とは] カテゴリの最新記事
|
|