カテゴリ:宗教
聖書はそこかしこに謎があり、その謎は「創世記」に集中しているように思える。
その謎は怖くてのめり込めない。こわごわと覗くだけ。 旧約聖書の全体を、頭の中で再構成してみようともくろむが、困難だ。 とてつもなく広く、脈絡を感じられない。 無理やりに「救済史」などという枠に押し込めようとしても ぎゅっ、ぴゅっ、とあちこちからあんこがはみ出す。 イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書をひもといて見よう。 気が遠くなるような饒舌に、疲れ切ってしまうのだ。 限りなく心ひかれるヨブの書も その独白は、あふれ、ほとばしる。 奔流だ。押し流される。 時には醜悪だ、あまりにも醜悪だ。削除してくださいとさえ思うのだ。 蓮は、泥の中に咲くという。 旧約聖書は泥の海だと思う。 その中に咲く花がある。 キリスト予言の蓮の花 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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