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どんどん忘れるので、覚えている分を書いておく。
あまり興味もないかも? ボクが東京聖書学校を卒業する時分は、日本キリスト教団の教師検定試験は行われなかった。 実施しようとしても、問題提起者たちが妨害する。 なされるままだったひ弱さは、日本のキリスト教。 そこで、当時の教団=教師検定委員会は問題提起者たちと話し合い、妥協点を見いだす。 何とか教師検定試験を実施したい一心だったのだろう。 その妥協点とは 1,教師検定試験を、日本キリスト教団教憲教規にのっとり実施する。 2,ただし、イエスをキリストと告白できない人も、日本キリスト教団の教師として働きたいと望む者には、教師として迎える。 それで教師検定試験実施に漕ぎつけたのだった。 ボクたちはその試験を受けなかった。 そんなふうにしてまで、試験を実施することは、キリスト教会の破綻に見えた。 さて、もうこれは40年以上も前のお話だったのだ。 今は、上の「第2番目の基準」は、なくなっていますよね? とっくのとうに、なくなっていますよね? しかし待てよ? ゆるいキリスト教 やさしいキリスト教 の走りだったのかも? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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